裁判中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 18:30 UTC 版)
「ソクラテスの弁明 (クセノポン)」の記事における「裁判中」の解説
10. (ヘルモゲネスによると)ソクラテスはそのように認識していたので、告発者たちに「国家の認める神々を認めず、新奇な神霊を導入し、若者たちを堕落させた」と告発された際、次のように語った。 11. 「諸君、自分はまずメレトスが何を根拠に「国家の認める神々を信じない」と主張しているのか不思議だ。なぜなら、自分が公共の祭りの際に、公共の祭壇で犠牲を捧げている姿は、他の人々も見ているからだ。 12. さらに、何をすべきか示す神の「声」が自分に現れることが、どうして「新奇な神霊を導入している」ことになるのか。鳥の鳴き「声」や、行きずりの人の「声」で占いを行う者もいるし、(ゼウスが操る)雷鳴の「声」が最大の前兆であることに異を唱える者はいないし、デルポイの神託所で三脚椅子に座っている巫女もまた「声」によって神からの知らせを伝えているのだから。 13. また神は将来のことを知っており、望む者にそれを「事前に示す」ことも、誰もが認めるところであり、その「媒介するもの」を他者は「鳥」「言葉」「予兆」「予言者」等と名付けるのに対して、自分はそれを「ダイモニオン(神霊的なもの)」と呼ぶのであり、神々の力を「鳥」に帰するような人々よりは、真実かつ敬虔に表現できていると思う。さらに、自分が神に対して偽りを言っていない証拠として、今まで実に多くの友人たちに神からの助言を告げたが、どれ一つとして間違ったこと無かったという事実を、挙げることができる。」 14. それを聞いて、裁判官の内のある者はその話を信じず、またある者はソクラテスへの神々の恩恵に嫉妬し、騒ぎ立てたが、ソクラテスは更に、カイレポンがデルポイのアポロン神託所でソクラテスについて尋ね、アポロン(神託所の巫女)が「人間の中で、ソクラテスよりも自由で、正しく、節度(思慮)ある者はいない」と答えた話を披露した。 15. それを聞いて裁判官たちがより一層騒ぎ立てる中、ソクラテスは続けて、(ラケダイモン(スパルタ)の伝説的立法者である)リュクルゴスは、神託で「神と呼ぶべきか、人間と呼ぶべきか」とまで言われたのであり、自分はそれと比べればすごくはなかったが、神は自分を「他の人間たちよりはずっと優れている」と判断したのだとしつつ、その神託の内容を吟味・検証してみることを要求する。 16. すなわち、ソクラテスほど「肉体的欲求に囚われず」「贈物も報酬も受け取らず、自分の現在の持ち物に満足し」「言葉を理解し始めた幼少から、何であれ可能な限りの善きものを探求・学習し続け」てきた、つまりは「自由・正しさ・知恵の条件を満たす生き方」をしてきた者は、他にいるか問うた。 17. そして更に、「徳を目指す国内外の人々の多くが、他の誰よりもソクラテスと付き合うことを選ぶ」のも、そのことについての証拠として挙げた。また「ソクラテスが貧しくて返礼を期待できないと知っていながら、多くの人々が感謝して贈物をしようとする」のは、何が原因であるかとも。 18. 更に「ペロポネソス戦争末期にスパルタに包囲された際、アテナイの人々は自らの境遇を憐れんでいたのに、ソクラテスは何ら生活に困らなかった」のは何が原因か、「他の人々はアゴラ(市場)からおいしいものを高値で手に入れるが、ソクラテスは出費無く魂から彼らより快いものを考え出せている」のは何が原因かとも。そしてこうしたことに対して誰も反駁・反証できないならば、ソクラテスが神々からも人間からも賞賛されるのは正当だと述べた。 19. そしてソクラテスは、メレトスに向かって、以上のようなことによって、ソクラテスが「若者たちを堕落させている」と主張するのか問うた。更に実際ソクラテスによって「敬虔から不敬虔へ」「節度から横柄へ」「慎みから浪費へ」「適度な飲酒から大酒飲みへ」「勤勉から軟弱へ」等、劣悪な快楽へと堕落させられてしまったような若者を知っているのかとも。 20. メレトスは、「ソクラテスが、親よりもソクラテスに従うよう説き伏せた若者たち」がいることは知っていると答える。ソクラテスは「教育」に関してはその通りだと認めつつ、「健康に関しては親よりも医者」「軍事に関しては親兄弟よりも将軍」に従うのではないか問うと、メレトスも同意した。 21. するとソクラテスは、そのように「他の活動では、最も有能とされる人々が尊重されている」のに、「教育」について最も優れているとある人々に選ばれている自分が、それ故に死罪で訴えられるのは驚くべきことではないかと、メレトスに問うた。 22. 更に多くのことが、ソクラテス自身と、弁護する友人たちによって語られたが、私(クセノポン)は、(他の人々のように)裁判の全容を述べることを望んでいるのではなく、次のことを明らかに出来さえすれば十分だった。すなわち、「ソクラテスが、神々に対して不敬虔なことをせず、人間に対しても不正であると思われないことを、尊重していたこと」と、 23. 他方で「端から死を免れるように懇願せねばならないとは思っておらず、自分にとって死ぬにはちょうどいい時であるとさえ、考えていたこと」を。彼がそう認識していたことは、次のことから一層明らかになった。すなわち、「有罪が確定した後、刑量を争う段階になった際に、「刑を申し出ることは、不正を認めること」だとして、それをあえて拒絶したし、友人たちにもそれを許可しなかったこと」と、「死刑確定後に友人たちが脱獄をさせようとしたが、それもあえて拒絶し、「どこかに死が近づかない場所などあるのか」と、彼らをからかうようなことを言いさえしたこと」によって。
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