肱川流域の産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 19:20 UTC 版)
肱川の流域に見られる平地は氾濫原であったため砂地が多く、水稲の栽培よりも野菜栽培に適しており、畑が作られてきた。この畑では、大洲名物であるいもたきの材料のサトイモなども栽培されてきた他、保存食として漬物も作られてきた。ただ、肱川の氾濫のたびに畑の境界が不明になる事を避けるために、東大洲地区などでは、畑の畦道に沿うように、畑の境界を示す樹木が植えられてきた。 肱川の氾濫による洪水被害を少なくするため、肱川流域に位置していた大洲藩は、河畔に竹などを植えることを推奨した。水防林として植えられた樹種としては、竹の他に、ムクノキやエノキが挙げられる。この中で竹を、建築資材として利用する他に、竹工芸品が作られ、熊手、籠、竹すだれ、竹刀、物差しなどが製造され、この付近の伝統的な産業の1つになった。かつては、団扇の骨(丸亀方面に出荷)、和傘の骨(和歌山へ出荷)も製造していた。他に桑の木も洪水に強いとされ、推奨された。この関係で養蚕も行われ、大洲は繭の集散地であった。 また、肱川の中下流域は水量もあり、それほど急流でなかったため、かつては河川舟運が発達し、河口の長浜は木材などの集散地として栄えた。この船の通行を妨げないように、河口部の長浜大橋は可動橋として建造された。 この他、肱川では漁業も営まれ、アユの漁が行われてきた。 また、大洲の鵜飼いは日本三大鵜飼の1つに数えられ、鵜飼いは観光資源として残っている。「肱川の鵜飼」は、昭和62年度手づくり郷土賞(水辺の風物詩)受賞。 平成16年度には愛媛県立大洲農業高等学校の取り組み「やすらきの水辺づくり」が、手づくり郷土賞(地域活動部門)受賞。
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