窮乏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:54 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「窮乏」の解説
冬が近づくと、民生用のエネルギーが不足し始めたため、両勢力は大規模な攻撃を控えるようになった。アゼルバイジャンによる経済封鎖は未だ続いていたが、アルメニアとナゴルノ・カラバフにはトルコを経由した援助も散発的に届いていた。しかし、震災によってメツァモール原子力発電所が閉鎖されて以降、アルメニアの電力不足と食糧不足はその深刻さを増していった。さらに、隣国グルジアでアブハジアと南オセチアの分離戦争が発生したことにより、ロシアからアルメニアへ通じていた唯一の石油パイプラインも破壊された。そのため、1992年から翌1993年の冬の寒さは湯の供給を断たれたことにより、アルメニアとナゴルノ・カラバフで特に耐え難いものとなった。穀類の供給も滞るようになったが、これに対しては各国のアルメニア人ディアスポラが本国へ寄付と援助を行った。1992年12月にはアメリカからバトゥミを経由して3万3千トンの穀物と150トンの乳児用調整粉乳がアルメニアへ届けられた。翌年2月には欧州経済共同体からECUが450万送付された。 一方、アゼルバイジャン国内に発生していた難民たちは、アゼルバイジャンとイランの両政府が設置した臨時のキャンプでの生活を強いられていた。しかし、国際赤十字によれば、12月までに毛布の配給を受けており、食糧の状態も充分であったという。また、国家財政の重要な地位を占めていた石油の輸出も、ソ連時代からの設備の老朽化(1965年のバクー油田の年間産出量は2億1500万トンだったが、1988年のそれは3300万トンまで減少していた)と、欧米企業の投資や介入によって、完全にその利益をアゼルバイジャンのものとすることはできなかった。
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「窮乏」の例文・使い方・用例・文例
- 貧しい人々の窮乏を救う
- 彼はそんな窮乏の中でどうやって暮らしていたのか。
- 飢饉が人々にひどい窮乏をもたらした。
- 貧乏[窮乏]している.
- 窮乏は繊細[高尚]な感情を失わせる.
- 窮乏して.
- 窮乏のうちに生活する[死ぬ].
- いろいろの窮乏を経験する.
- 被災地の住民は水道もガスもない窮乏生活を強いられている.
- 窮乏に陥る
- 窮乏の日に備える
- 只さえ豊かでなかった彼は損をしたためにますます窮乏に陥った
- 窮乏した状態で
- 禁欲と窮乏(特にあなた自身に課される身体の痛みまたは不快によって)により肉に対する色情を抑制することの行為
- 米国は近隣窮乏化政策を遂行した
- 彼は窮乏した状態であることに気付いた
- 作物が豊作で価格が暴落し,農家が窮乏すること
- 窮乏化法則という,マルクスによる経済理論
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