県令時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:56 UTC 版)
明治4年(1871年)、廃藩置県により明治政府に請われ出仕し、上京する。 三潴県(現在の福岡県)権参事、置賜県(現在の山形県)参事ののち、第2代山形県権令(明治6年(1873年) - 明治8年(1875年))・第2代山口県県令(明治8年(1875年) - 明治14年(1881年))を歴任する。山口県県令時代の明治9年(1876年)、前原一誠・奥平謙輔らの萩の乱を鎮圧し、「山口の賢県令」と呼ばれた。同年、長男の壮吉が月岡で誕生する。 明治14年(1881年)、46歳のとき元老院議官に就任し東京へ移住、地方巡察使として一府五県(東京・千葉・茨城・神奈川・静岡・愛知)の調査を行い、高等法院陪席判事、第3代静岡県県令(明治17年(1884年) - 明治19年(1886年))を歴任する。当時、「地方の令は他貫のものを充当する」すなわち出自に関係する地の県令には就任できないというルールがあったため、隆吉の静岡県県令就任は異例のことであった。 静岡県県令となってからは治山治水事業に尽力し、天竜川から中遠地方一帯に農業用水を引く遠州社山(現在の磐田市)の隧道工事、富士郡の塩害を防ぐ沼川石水門の建築、県庁舎新築なども進めている。また、図書蒐集と活用をめざし、久能山に私費による図書館「久能文庫」の創設も企画した。
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