物集高見とは? わかりやすく解説

もずめ‐たかみ〔もづめ‐〕【物集高見】

読み方:もずめたかみ

[1847〜1928]国文学者・国語学者。豊後(ぶんご)の生まれ東大教授。「広文庫」「群書索引」を編集し国文学発達功績残した


物集高見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 22:14 UTC 版)

物集 高見
太陽』第5巻10号より
人物情報
別名 鶯谷
菫園
埋書居士
生誕 物集素太郎
弘化4年5月28日 (1847-07-10) 1847年7月10日
日本豊後国速見郡杵築(現・大分県杵築市
死没 (1928-06-23) 1928年6月23日(80歳没)
日本東京都
国籍 日本
両親 物集高世
子供 長男:物集高量
学問
時代 明治大正
研究分野 国学
研究機関 東京帝国大学
学習院
主な業績 言文一致の推進
国語学の基盤を整備
主要な作品 『ことばのはやし』
『日本大辞林』
『廣文庫』
『群書索引』
影響を受けた人物 玉松操
平田銕胤
東条琴台
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物集 高見(もずめ たかみ、弘化4年5月28日1847年7月10日) - 昭和3年(1928年6月23日)は、豊後国大分県)出身の国学者

経歴

父は国学者の物集高世で、高見はその二男三女の長男として豊後国速見郡杵築(現・大分県杵築市)に生まれる。幼名素太郎、後に善五郎と改める。鶯谷・菫園または埋書居士と号する。

少年時代、故郷で漢学国学を修める[1]慶応元年(1866年)、長崎に出て蘭学を修める。慶応2年(1867年)に京都へ出て、玉松操に師事して国書を修める[注 1]

明治2年(1869年)に父と上京。明治3年(1870年)5月、平田銕胤の門に入り国学を修めたほか、神祇官職員の東条琴台に師事して漢学を修める。同年から神祇官の宣教史生の職を得た。

明治4年(1871年)24歳からは洋学も修める。明治5年(1872年)から教部省に出仕する(中録十等)。職務のかたわら辞書編纂を企画した。また「本邦語源考」「事物名義考」の研究発表もしている。高見の言語に対する興味は、この頃からあったと考えられる。

明治7年(1874年杵築在の岩田なつ子と結婚する。国文法研究には英文法が必要と考え、明治8年(1875年)からは近藤真琴のもとで英語を学ぶ。教部省が廃止されたので、内務省に移る。明治12年(1879年)、内務省より月山神社宮司兼羽黒山神社・湯殿山神社宮司に任ぜられ、学習院や女子師範学校の教授をも兼務している。國學院大學の創立委員の一人として尽力した。同年、長男の物集高量が誕生する。

明治16年(1883年1月2日、父・高世が没する。大分県杵築から帝国大学文科大学御用掛取扱(准判任官)に任ぜられる。

明治19年(1886年3月から帝国大学教授に任ぜられる[1]。さらに、東京師範学校東京教育大学筑波大学の前身)や文部省参事官を兼任する。

明治20年(1887年1月7日、宮中御講書始めの講師を命じられる。夏、避暑先の神奈川県横浜市金沢区富岡で、宮内大臣土方久元御歌所高崎正風警視総監三島通庸などの高官に会い、ある高官(松方正義ともいわれる)によって外交官に推されそうになったが謝絶した。その代わりに国語辞典「日本大辞林」編纂事業への資金援助を約束される。当時、小学校教師や警察官の月給が6〜7円だった時代において、原稿料1枚10円[3]という超巨額の援助だった。このほか、門人下田歌子に乞われて、華族女学校の副読本を執筆したこともある[注 2]。明治22年(1889年)妻と娘を病で亡くす。

明治23年(1890年)には学習院大学部(旧制)の教授も兼任する。翌年に再婚。明治28年(1895年)に勲六等瑞宝章を賜る。

明治32年(1899年)3月、日本で初の文学博士となる[2]。同年4月、東京帝国大学文科大学の井上哲次郎の勧告で大学を退官[注 3]。以後は私財を注ぎ込んで在野学者として研究に没頭する[1]。貧窮の中で全国を行脚して約5万冊の書物を集め、さらにその総てを読破した。大正4年(1915年)に債権者により不動産が競売にかけられて無一文となり、さらに脳貧血で倒れたが、それを新聞報道で知った軍需成金の中村精七郎が支援を申し出、『広文庫』全20巻の内の第1巻を大正5年(1916年)に広文庫刊行会より刊行、大正7年(1918年)には全巻の刊行し、1916年から1917年に全3巻の「群書索引」を刊行した。

昭和2年(1927年)2月、81歳の折には『皇學叢書』全12巻を刊行した。商業ベースの出版ではなかったが為、膨大な借財を負った。昭和3年(1928年6月23日、自宅にて死去した。墓所は大分県杵築市の養徳寺にある[1]

家族

物集邸

文京区千駄木にあった物集邸は敷地1200坪に部屋数が二十室もあり、周囲から「団子坂御殿」と呼ばれていた[6]青鞜の事務所も物集邸内にあったため、現在「青鞜発祥の地」の史跡板が立っている[8]北区西ケ原に別荘も持っていた[6]。いずれも1915年の競売で手放した。

栄典

著作

高見の著述は多数に及ぶが、未刊行のものについては、主として『物集高見全集』(全5巻、1934年~35年)にまとめられている[1]。以下は筧五百里「物集高見博士系図年譜及び著作目録[10]」より。

  • 『道の莠』明治3年(1870年)刊
  • 『初學日本文典』明治11年(1878年)刊
  • 『日本小文典』明治16年(1883年)刊
  • 『かなのしをり』明治17年(1884年)刊
  • 『詞遺の栞』明治17年(1884年)刊
  • 『てにをは教科書』明治18年(1885年)刊
  • 『かなづかひ教科書』明治18年(1885年)刊
  • 『日本文明史略』九巻、明治18年(1885年)刊
  • 『よゝのあと』明治18年(1885年)刊
  • 『言文一致』明治19年(1886年)刊
  • 『日本大辞書ことばのはやし』明治21年(1888年)刊
  • 『日本大辞林』明治27年(1894年)刊
  • 『標柱よつぎのうた』明治29年(1896年)刊
  • 『新撰国文中学読本』十冊、明治30年(1897年)刊
  • 『日本の人』明治32年(1899年)刊
  • 『修訂日本文明史略』明治35年(1902年)刊
  • 『勅語逢原』明治44年(1911年)刊
  • 『勅語逢原演義』明治44年(1911年)刊
  • 『廣文庫』二十冊、大正5年(1916年) - 大正7年(1918年)刊
  • 『群書索引』三冊、大正5年(1916年)刊
  • 『國體新論』大正8年(1919年)刊
  • 『済時危言』大正11年(1922年)刊
  • 『詠史抄』大正11年(1922年)刊
  • 『源氏物語提要』大正12年(1923年)刊
  • 『和歌抄』大正12年(1923年)刊
  • 『忠孝譜』大正14年(1925年)刊
  • 『人界の奇異・神界の幽事』大正14年10月・嵩山房刊
  • 『百人一首山彦抄』大正14年(1925年)刊
  • 『皇學叢書』十二巻、昭和2年(1927年)

脚注

注釈

  1. ^ 以後3年間は玉松操の塾にて学んだ[2]
  2. ^ とりわけ『源氏物語』の解釈に定評があった[4]
  3. ^ 背景には、門人上田万年との文学論争をきっかけとする、上田とその弟子たちによる追い出し工作があったとされている[5]。高見はこのことを深く恨み、息子の高量に向かって「上田の家は小石川伝通院にあるが、決してその前を通ってはならぬ」と命じていた。辞職直後は、乱れた心を鎮めるため、自宅で習字ばかりしていたとも伝えられている。

出典

  1. ^ a b c d e 山東功 2016, p. 92.
  2. ^ a b 清原宣雄 & 米田貞一 1977.
  3. ^ 物集高量 1979, p. 152.
  4. ^ 山東功 2016, p. 93.
  5. ^ 山東功 2016, p. 94.
  6. ^ a b c 「ロマンを追って─元大分市長上田保物語─」中川郁二、大分合同新聞社、2003
  7. ^ 84才、一人暮らし。ああ、快適なり<第6回 好色のすすめ>2019.04.02
  8. ^ 団子坂物語「谷中 根津 千駄木」8号 1986年6月20日
  9. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  10. ^ 國語と國文學』第5巻10号、1928年。

参考文献

著書
  • 清原宣雄、米田貞一『物集高見・矢野龍渓』大分県先覚者シリーズ刊行会〈郷土の先覚者シリーズ(第7集)〉、1977年2月。 
  • 物集高量『百歳は折り返し点:軽妙な筆舌と書きおろし自伝』日本出版社、1979年4月。 
論文



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