ひじかた‐ひさもと〔ひぢかた‐〕【土方久元】
土方久元
土方久元
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土方 久元(ひじかた ひさもと、1833年11月23日〈天保4年10月12日〉 - 1918年〈大正7年〉11月4日)は、日本の政治家[2]。栄典は正二位勲一等伯爵。幼名は大一郎。通称は楠左衛門。号は秦山。
- ^ 土方久元とは - コトバンク
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「土方久元」
- ^ 『山鹿素行兵法学の史的研究』十一章
- ^ 平尾道雄 著『青年の風雪』34頁 高知新聞社、1981
- ^ 『土佐の偉人と名勝』33頁
- ^ 『泰山遺稿2巻上巻』泰山土方伯略傳
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)251頁
- ^ 土方久元『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
- ^ 『明治・大正・昭和華族事件錄』千田稔 2005 p105
- ^ 『土方梅子自伝』p24
- ^ 『土方梅子自伝』p21
- ^ 『土方伯』菴原铆次郎、 木村知治 · 1913年、p16
- ^ 『土方与志 ある先駆者の生涯』尾崎宏次、 茨木憲 1961, p17
- ^ 中井一馬『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 『土方梅子自伝』p34
- ^ 土方家・本田家系図清水久夫、国立民族学博物館調査報告89、2010-02-26
- ^ 土方久元邸跡幕末維新史跡観光
- ^ 【小石川①035】小石川林町江戸町巡り
- ^ 『土方梅子自伝』p51-54
- ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
- ^ 『官報』第994号「叙任」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3988号「叙任及辞令」1896年10月12日。
- ^ 『官報』第1877号「叙任及辞令」1918年11月5日。
- ^ 『官報』第316号「叙任及辞令」1884年7月18日。
- ^ 『官報』第3684号「叙任及辞令」1895年10月8日。
- ^ 『官報』第1299号「叙任及辞令」1887年10月26日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第1971号「彙報」1890年1月27日。
- ^ 『官報』第6012号「叙任及辞令」1903年7月17日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ a b c d 『官報』第993号「叙任及辞令」1886年10月20日。
- ^ 『官報』第2355号「叙任及辞令」1891年5月9日。
- ^ 『官報』第2378号「叙任及辞令」1891年6月5日。
- ^ 『官報』第2726号「叙任及辞令」1892年7月29日。
- ^ 『官報』第3691号「叙任及辞令」1895年10月16日。
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