溝尻奨学賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:13 UTC 版)
明治時代、磯小学校の奨学金制度により恩恵を受けた者の1人に、溝尻光学工業所の創始者・溝尻房蔵がいる。 溝尻は、貧しい家庭に育ち、高等教育を受けることは不可能と思われたが、磯小学校の奨学金制度によって東京物理学校を卒業。1916年(大正5年)5月、当時世界一の反射鏡と謳われたサーチライトを発明、のちに、世界初とされる太陽炉を開発した。 1925年(大正14年)5月、溝尻光学工業所を創業、第二次世界大戦中に自宅と会社のすべてを空襲によって失い、一時郷里の浜詰村に疎開するが、1947年(昭和22年)5月にはふたたび上京。東京大学の構内に溝尻研究所を設立する。 発明家・企業人として成功を収める一方で、溝尻は母校である磯小学校に「溝尻奨学賞」を設けて後輩の児童を激励した。この奨学賞は1929年(昭和4年)から第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)頃までの約15年間続けられた。溝尻は、磯小学校で講話をおこなったり、学校図書の充実や浜詰小学校の校門、浜詰村の施設建設等に多額の寄付を贈るなど、母校の教育支援を中心に郷土に大きく貢献した。 その功績をたたえ、磯の静神社の裏手の林に、「光潤の杜」が整備されている。
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