海石榴市、椿市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 13:33 UTC 版)
この市は、政治の中心が主として奈良盆地の東南部にあった頃、定期的に市が立って栄えた。北へたどる山辺の道の起点であり、そこに初瀬街道がT字形に合し、さらに飛鳥からの山田の道、磐余の道などの主要な街道が集まり、また初瀬川を下り大和川に出る水運の河港もでき、水陸交通などの要衝の土地であった。その場所は三輪山の南、今の桜井市金屋付近である。 推古天皇16年8月の条(西暦換算では608年9月頃の条)に「唐の客を海石榴市の衢に迎ふ」とあり、隋の使者は、初瀬川を船で遡り海石榴市で船を降り、市(衢)そこで出迎えられ、飛鳥の小墾田宮に入京したのであろう。路傍に「海石榴市観音道」の石の道標があり、少し離れたところに「海石榴市観音堂」がある。 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 立ちならし 結びし紐を 解かまく惜しも — 作者不詳、『万葉集』巻12・2951
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