おきなわ‐ほんとう〔おきなはホンタウ〕【沖縄本島】
読み方:おきなわほんとう
⇒沖縄島
沖縄本島
沖縄本島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:28 UTC 版)
沖縄本島では、1953年(昭和28年)に沖縄配電、松岡配電、中央配電、1955年(昭和30年)に比謝川配電と与那原配電(のちの東部配電)、1957年(昭和32年)に名護配電が設立され6配電会社体制がとられた。 沖縄配電渡嘉敷真睦(元沖縄群島政府工務部長)と國場幸太郎(國場組社長)によって1953年に設立された。当初は那覇地域を供給区域とし、その後糸満地域に範囲を広げ、1965年には東部配電を吸収合併した。1976年に沖縄電力と合併。 松岡配電松岡政保(松岡建設社長、後の行政主席)によって1954年に設立された。浦添・宜野湾地区を供給区域とし、後に北谷・中城地区にも範囲を広げた。1976年に沖縄電力と合併。 中央配電沖縄本島中部地域を供給区域とする配電会社で、城間盛善(元琉球政府行政主席情報局長)と安田善次(安田商事代表)が中心となって1953年に設立された。翌年から供給を開始した。1976年に沖縄電力と合併。 東部配電与那原地区を供給区域とする配電会社で、嶺井元奉によって1955年に設立された。当初は「与那原配電」という名称であった。その後周辺地域に供給区域を広げていき、1957年に「東部配電」となった。しかし、同社の供給地域は過疎地帯であるため、経営的に厳しくなり、1965年に沖縄配電に吸収合併された。 比謝川配電嘉手納・読谷地域を供給区域とする配電会社で、当山真志(立法院議員)によって1955年に設立された。嘉手納基地等米軍施設が隣接しているため、米軍関係需要が7割を占めていた。1976年に沖縄電力と合併。 名護配電元々名護町営の電気事業であったが、1957年に民営化された。発起人である岸本永幸(名護町議会議長)が社長に就任した。その後周辺地域にも供給地域を拡大していった。1976年に沖縄電力と合併。 (役職名・市町村名は当時のもの)
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