民国28年(1939年)制式
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「軍服 (中華民国)」の記事における「民国28年(1939年)制式」の解説
前述の細部改正から半年後の1939年8月7日の『空軍服装戦時通変弁法』により、徽章軍服の前面改定が実施された。夏服の階級章が袖から肩へと変更され、また軍帽の形状もはみ出しの少ないクラッシュキャップとなり、全体的に支援を受けた米軍の影響が強くなった。また、当初刺繍布製だった帽章その他徽章はより生産性を重視するため銅やプラスチックになった。 階級章は上部の記章がプロペラを掴んだ鷲となったほか、襟章が三枚羽に変更された。襟の兵科徽章は12種類に細分化された。搭乗員徽章は非現役パイロットも佩用するなど、この頃から形骸化が現れる。 将官の襟章は階級章上部と同じ徽章であったが、戦後の1946年ごろに星となる。 ベルトは再びサムブラウンベルトに変更された。 略帽が導入され、軍官学校生徒や整備兵は通常こちらを被るようになる。 中国空軍の制帽を被った米軍パイロット。 空軍中尉。高又新 アーサー・チン 空軍一級上将。(周至柔、1948年ごろ) 襟章の変更が分かる(王叔銘、1952年3月ごろ)
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