けんりょく‐とうそう〔‐トウサウ〕【権力闘争】
権力闘争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/01 20:35 UTC 版)
「アンソニー・カルファノ」の記事における「権力闘争」の解説
1950年代、ニューヨークとフロリダにまたがり多くの利権を保有していた。1959年のFBIレポートでは、賭け率の高いziganetteというゲームの上りの5%を取り、サイコロゲームの利権もあった。サラトガ・スプリングズとマイアミの20頭の競走馬飼育場を経営し、マイアミの煙草自販機業・ジュークボックス業に利権を持っていた。FBI密告者は、カルファノは酒類販売で月18000ドル稼いでいたとした。1950年代を通じて、ヴィンセント・ラオ(ルッケーゼ一家)らと共謀してヨンカーズの競馬場施設の建設受注で法外な収入を得た。 コステロとの付き合いは30年以上に及び、忠実な部下で親友でもあった。コステロの盟友で1951年マンガーノ一家のボスになったアルバート・アナスタシアとも親しかった。ブルックリン時代のカルファノの本拠ゴーワヌスはアナスタシアのレッドフック地区と隣り合わせで、一説にアナスタシアがイェールの密輸トラックの武装用心棒をしていた頃からの付き合いとされる。1950年代、アナスタシアが子飼いのヴィンセント・スキランテを通じて支配していた清掃ビジネスに一枚噛んでいた。 1950年代、ボスの座を狙うヴィト・ジェノヴェーゼが、一家内のコステロ派幹部を自陣に鞍替えさせるなどして支持基盤を広げていった。1956年、アドニスが政府に追われてイタリアに帰り、ロッコ・ペリグリーノらコステロ派の長老幹部2人が一線から身を退いた。1957年5月、コステロはジェノヴェーゼの刺客に狙撃されて負傷し、ボスの座を降りることを決意した。カルファノはコステロに撤回を求めたが聞き入れなかったという。ジェノヴェーゼはコステロ襲撃後、結束を図るため一家の幹部らに集合をかけたが、幹部の中でカルファノだけが欠席したとされる(ジョゼフ・ヴァラキの証言)。 コステロの最も強力な同盟者アナスタシアはジェノヴェーゼに戦争に仕掛けようとして他のボスに諌められたが、同年10月25日、パークシェラトンの理髪屋でヒットマン2人に暗殺された。アナスタシアの家に張り込んでいた刑事はアナスタシアの通夜に参列したマフィアがカルファノだけだったと報告した。
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