松竹の洋画劇場とは? わかりやすく解説

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松竹の洋画劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 06:37 UTC 版)

帝国館」の記事における「松竹の洋画劇場」の解説

単独映画館となった帝国館は、やがて松竹譲渡された。このころ同館が発行していた週刊ニュース第一新聞」を押山保明編集していた。1917年大正6年)、活動弁士生駒雷遊が同館の主任弁士となった1919年大正8年)ごろには弁士津田秀水人気博した1921年大正10年)、松竹は、帝国館松竹洋画フラッグシップ館と決定松竹洋画部買い付ける洋画上映した1923年大正12年9月1日関東大震災浅草壊滅帝国館崩壊したが、復興後は、引き続き松竹洋画拠点として機能した1925年大正14年2月27日帝国館新宿武蔵野館パラマウント映画の特作映画十誡』を同時に公開したことが話題となった1927年昭和2年)、僊石政太郎設計により改築した。このときの建物1980年代まで使用された。やがて、「浅草松竹映画劇場」と改称松竹製作新作公開する劇場となった1983年昭和58年)、閉鎖廃業し解体された。跡地浅草ROXとなった。同館の代替として、かつての金龍館当時の「浅草ロキシー映画劇場」が二代目浅草松竹映画劇場となった

※この「松竹の洋画劇場」の解説は、「帝国館」の解説の一部です。
「松竹の洋画劇場」を含む「帝国館」の記事については、「帝国館」の概要を参照ください。

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