東北部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/07 22:55 UTC 版)
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東北部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:55 UTC 版)
「イーサーンの歴史(英語版)」も参照 タイ東北部となるイーサーン地方のウボンラーチャターニー県の東端に位置するパーテーム(英語版)には、4000-3000年前に描かれた多くの岩絵が存在する。また、ウドーンターニー県のプープラバート(英語版)の岩絵は約6000年前のものともいわれる。このほかノーンブワラムプー県の岩絵などは、中国南部の花山の岩絵などとの類似性が指摘される。なお、岩絵はタイ東北部のほか、北部、中部、南部にも認められる。 新石器時代になると様相が大きく変化し、稲作が認められる新石器文化が出現する。社会単位は、石器時代のうちに部族から集落に進展し、社会的な組織構成が進んだ。青銅器の時代になると、分散した村落(ムーバーン)から、よりまとまった「ムアン」(くに)へと発展していった。北部イーサーン地方のノンノクタ(英語版)やバーンチエン遺跡などの研究によると、紀元前2千年紀には、タイに初期の青銅器文化を持つ集落があったといわれる。この発展に伴い水稲の耕作が認められ、続く紀元前3世紀までにはタイ東北部で製鉄が開始されたと考えられる。青銅器やそれに続く鉄器においては、タイのほか中国南部やベトナム北部に同様の文化が拡散していた。
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