東京から横浜へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 03:12 UTC 版)
大正期には第一次世界大戦の軍需で発展し、戦勝国である日本は好景気になった。この頃から、東京に集中していた工場群が横浜・川崎にも多く進出し始めてきた。その後関東大震災を契機に、東京から工場が横浜・川崎へ移転し、京浜工業地帯は完全に横浜まで広がった。震災前、三港周辺の工場群は独立していた。そのため横浜の実業家原三渓などは、鶴見に火力発電所を作るために投資し、横浜と川崎を工業地帯化させ、次第に今のような工業地帯となっていった。 満州事変が起こると、軍需産業がさらに成長した。特に造船・自動車産業は政府に支援され、1933年には横浜市神奈川区宝町で日産自動車が創立した。現在みなとみらいとなっているところは、かつて三菱重工業横浜造船所(現・三菱重工業横浜製作所)があった。
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