杉山憲夫とは? わかりやすく解説

杉山憲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/24 10:13 UTC 版)

杉山 憲夫
すぎやま のりお
生年月日 1930年3月3日
出生地 静岡県
没年月日 (2012-02-27) 2012年2月27日(81歳没)
出身校 静岡県立裾野高等学校
所属政党自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由民主党
親族 杉山盛雄(子)

衆議院議員
選挙区静岡県第2区→)
比例東海ブロック
当選回数 5回
在任期間 1986年 - 2003年
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杉山 憲夫(すぎやま のりお、1930年3月3日 - 2012年2月27日)は、日本政治家

衆議院議員(5期)、学校法人沼津学園理事長(第4代)を務めた。静岡県議会議員の杉山盛雄は長男。

来歴

静岡県出身。静岡県立裾野高等学校時代にストライキを起こす。大学進学を希望していたが、家計の事情で大学進学をあきらめ家業を継ぐ。清水町議会議員から静岡県議を経て1983年第37回衆議院議員総選挙自由民主党から立候補するも落選。3年後の第38回衆議院議員総選挙で初当選。連続当選5回(当選同期に鳩山由紀夫斉藤斗志二三原朝彦村井仁逢沢一郎金子一義武村正義杉浦正健園田博之中山成彬谷津義男新井将敬石破茂笹川堯武部勤井出正一村上誠一郎など)。自民党では田中派竹下派に所属した。

当初は金丸側近として活躍。1992年東京佐川急便事件で金丸が議員辞職すると小沢一郎側近となり、当選同期の北村直人、同僚議員の藤井裕久岡田克也ら竹下派の若手議員とともに新生党の結党に参加。その後新進党所属となるが、後に小沢と決別し1996年には自民党に復党した。復党後は宏池会に所属した。建設政務次官・衆議院運輸委員長・衆議院環境委員長などを歴任。2000年の「加藤の乱」では、第2次森内閣への内閣不信任決議案に賛成の意思を示した派閥領袖の加藤紘一に反対した[1]2003年第43回衆議院議員総選挙で、党の比例代表定年制に抵触し引退。

2012年2月27日に腎盂がんのため死去[2]。81歳没。

人物

水面下の工作が得意で、かつ、極端な猪首であったことから金丸信から「モグラ」と呼ばれたことがある。

参考文献

  • 「笑顔の泥んこ人生 人間・杉山憲夫」大下英治、しょういん、2003年

脚注

議会
先代
辻一彦
衆議院運輸委員長
1996年 - 1997年
次代
大野功統
先代
阿部昭吾
衆議院環境委員長
1996年
次代
佐藤謙一郎




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