時習館
時習館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/02 14:14 UTC 版)
「札幌市立手稲東小学校」の記事における「時習館」の解説
本校の前身である時習館は、上手稲に白石藩士241名が入植して間もない1872年(明治5年)5月、三木勉が自宅を開放して始めた私塾である。塾名は『論語』の一節「学びて時にこれを習う」に由来する。三木らが白石村から離れたのは入植者たちの内部対立によるという説があるため、同年3月に白石村にできた善俗堂(札幌市立白石小学校の前身)への対抗意識もあったのではないかという見方もなされる。 教科は読書を中心として、習字や珠算、そして当時としては先進的な算用数字による筆算を取り入れていた。 当初の立地は現在の西町北18丁目付近だったが、手稲筆算所として西町南18丁目付近へと移転。1968年(昭和43年)にはその場所に記念碑が建てられ。1988年(昭和63年)にさっぽろ・ふるさと文化百選のNo.72「時習館跡」として選定された。
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