映画制作まで
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「この世界の片隅に (映画)」の記事における「映画制作まで」の解説
2010年8月、『マイマイ新子と千年の魔法』の次の作品はどうするかという話の中で、制作会社マッドハウス取締役社長(当時)の丸山正雄は、片渕が『この世界の片隅に』のアニメ化を熱望していることを知る。丸山が原作を出版する双葉社に確認したところ、実写化の企画もあるがアニメ映画化はそれとは分けて考えられるとの回答を得て、企画が決定した。 2012年8月17日、片渕がTwitterにて制作を発表、翌日より第一弾ポスターが広島県・山口県を中心に展開された。制作状況は、監督によってWEBアニメスタイルのコラムで連載された。また広島フィルム・コミッションは2011年からロケハン案内、資料収集、録音などの制作サポートを行った。片渕の熱意は周囲を感化し、広島を中心にアニメ化を望む声は高まっていった。 2013年、丸山は元マッドハウスの松尾亮一郎に制作の現場側のプロデューサーをやって欲しいと声をかける。 2013年1月、資金調達に苦しんだ丸山は、かつて『千年女優』などで共に仕事をした真木太郎プロデューサーに声をかける。真木はその依頼を引き受けることにした。しかし、監督の知名度がない上に前作の成績が芳しくなかったにも関わらず、すでに完成していたシナリオや絵コンテのままなら上映時間2時間半で制作費4億円という相当大きなマーケットでやらなければペイできない作品になるということで、配給会社の反応はどこも鈍かった。 真木は戦略を変更し、10分×12本の連続ドラマを映像配信して、最後の部分だけ劇場で上映することを考えた。終戦70周年の2015年8月15日に終戦のシーンを配信することを狙ってソフトバンク、AU、ドコモにプレゼンをしたが、どの会社も配信の権利は買ってやってもいいが制作費は出さないという姿勢だったので、交渉は失敗に終わった。 そこで真木は、もう一つの資金調達手段として考えていたクラウドファンディングを導入することにした。一歩間違えば詐欺と言われかねないクラウドファンディングの導入にあたり、真木たちはお金集めが目的なのか、それとも応援団をつくることが目的なのかを議論した。その結果、資金調達とパブリシティの内、後者のほうが重要だと考えた真木の戦略は、クラウドファンディングで話題作りをし、同時に出資企業を募って製作委員会を組成するというものだった。委員会組成には時間がかかるので、導入前に先立って真木の会社GENCOが出資して行うことにした。同時に製作費を40%カットして2.5億円に抑え、また尺が長いとお金が集まらないと片渕を説き伏せて上映時間も110〜120分を目標に150分ある絵コンテを30分カットしてもらった。集まった資金は、当初の目標金額2000万円を超えて3921万1920円を記録し(それでも制作費4億円にはほど遠い額である)、真木はそれで5分間のパイロット・フィルムを作成した。それにより「こんな短期間に大勢の人からお金が集まるんなら当たるんじゃないか」と出資者たちに感じてもらえ、パイロットフィルム自体がそれを見た人の心を打つことで、多くの支持者を生むことにつながっていった。 真木のもくろみは当たり、まず映画興行・配給・製作のほか、飲食店経営なども手掛ける老舗企業・東京テアトルが製作出資・配給・主幹興行を行うことを表明した。すると徐々に出資企業が集まり始め、東京テアトルが前年配給した『百日紅』に出資した縁から朝日新聞社が、続いてTBSラジオが応じ、さらにバンダイビジュアルが制作委員会に加わった。 2015年6月3日に製作委員会が正式に発足、丸山が設立した株式会社MAPPAの制作で劇場アニメ化されることが発表される。同日「『この世界の片隅に』を支援する呉・広島の会」が発足した。 全国公開作品ではあったが、全国規模の広告・TVスポット展開を行うような宣伝費の余裕は無く、また地上波テレビでのパブリシティ展開もNHKを除いて行えなかった。にもかかわらず、新聞、ラジオといったメディアがシニア層、ウェブでの盛り上がりが若い観客に届き、公開以来、週を追うごとに上映館の数も入場者数も興収も上昇する現象を見せ、ロングラン興行となった。 世界15カ国での海外配給が決まると、今度は監督が現地を訪問するための渡航・宿泊費用をクラウドファンディングで公募した。その結果、わずか2日間で目標額である1080万円を達成した。
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