日本の道路元標
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:58 UTC 版)
日本の道路元標が国によって定められたのは、里程調査のための明治時代初期のものと、大正の旧・道路法施行令公布の時のものと、二つの時期にわたって道路に設置されたものがある。正確には、大正時代に設けられたものが「道路元標」とよばれるもので、明治時代に設けられたものは里程元標(りていげんぴょう)といい、大正期の道路元標の前身となるものである。これ以外に現在、一般国道などの起終点などで見ることが出来る道路元標は、昭和時代の太平洋戦争後に設置されたもので、その設置基準については法的な根拠はなく、道路の付属物の扱いで記念碑的なものとして建てられたものである。特によく知られるものに、東京・日本橋に設置された「日本国道路元標」があり、主要国道7路線の起点標にもなっている。 かつて日本の中心は都(京都)にあったが、1600年の関ヶ原の戦い以降、江戸幕府を開いた徳川家康が江戸の日本橋を中心に五街道の整備に着手した。256年にも及んだ徳川幕府の中心地である江戸は、明治新政府の時代になって東京と名を変えても政治の中心地はそのまま東京に置かれた。明治政府が行った道路の整備については、江戸時代に整備された街道を中心に行われ、旧道路法(1919年 - 1952年)で、東京を中心に当時の府県庁所在地や旧帝国陸海軍の師団司令部所在地などを結ぶ道路が国道に指定され、道路元標も設置された。現行の道路法に改正されてからは道路元標の法的根拠はなくなったが、日本の道路の中心地のシンボルとして、日本国道路元標が日本橋の中央に設置されている。 大阪市道路元標大阪府大阪市 梅田新道 高知市 道路元標高知市 県庁前交差点 徳島市 道路元標徳島市 かちどき橋南詰交差点 鹿児島県鹿児島市の里程元標(国道3号 終点)
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