新空港計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:59 UTC 版)
しかしながら、これ以上の空港の拡張は隣接地の買収も難しいうえに、ヴィクトリア・ハーバーに面した九龍湾北岸を埋め立てする余裕もないことから、1970年代に入り新空港の必要性が叫ばれ、建設地の選定が進められた。 1984年に香港の中華人民共和国への返還が決まると、ランタオ島北側の赤鱲角(Chek Lap Kok、チェク・ラップ・コク)に、イギリス系の建設会社主導で新空港の建設が開始された。なおその後も乗降客や貨物の取扱高は増え続け、1996年の統計は乗降客数 2,950 万人、貨物 156万 tにまで増加した。 なおこの頃すでにイギリス空軍の固定翼機の常駐は行われなくなっていたものの、ヘリコプター部隊が常駐していたほか、同部隊の撤収後は香港政庁のヘリコプター隊が常駐を続けていた。
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