しんさるがくき【新猿楽記】
新猿楽記
読み方:シンサルガクキ(shinsarugakuki)
新猿楽記
主名称: | 新猿楽記 |
指定番号: | 277 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1939.05.27(昭和14.05.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 弘安三年三月一日書写ノ奥書アリ/紙背ニ和漢朗詠集巻上ノ書写アリ |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1280 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
新猿楽記
主名称: | 新猿楽記 |
指定番号: | 278 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1939.05.27(昭和14.05.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 康永三年七月廿二日書写ノ奥書アリ |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | 1344 |
検索年代: | |
解説文: | 南北朝時代の作品。 |
新猿楽記
主名称: | 新猿楽記 |
指定番号: | 279 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1939.05.27(昭和14.05.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
新猿楽記
新猿楽記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 16:04 UTC 版)
『新猿楽記』(しんさるがくき)は平安時代中期の学者藤原明衡による作品。ある晩京の猿楽見物に訪れた家族の記事に仮託して当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していった物尽くし・職人尽くし風の書物である。その内容から往来物の祖ともいわれる。
- ^ 『中右記』長治二年正月十二日条、『吉記』承安四年二月七日条
- ^ 大江匡房『傀儡子記』による。
- ^ 『嬉遊笑覧』巻七、祭会
- ^ 井浦芳信『日本演劇史』、至文堂、1963年。
- ^ 浜一衛『日本芸能の源流―散楽考』角川書店、1968年
- ^ 『梁塵秘抄』巻二に「海老漉舎人はいづくへぞ、小魚(さい)すい舎人がり行くぞかし、此の江に海老無し下りられよ、あの江に雑魚(ざこう)のちらぬ間に」とある
- ^ 『二中歴』散楽や『雲集消息』上にも記載がある。
- ^ 『本朝世紀』長保元年六月十四日条に登場する仁安、『二中歴』散楽の仁難と同一か。
- ^ 『本朝世紀』天慶元年九月二日条や『法華験記』巻下などに、男根や女陰をかたどった神として描写されている。
- ^ 『稲荷神社考』
- ^ 『稲荷記』『稲荷大明神流記』
- ^ 源順編纂の『和名類聚抄』によれば馳射は「於无毛乃以流(おむものいる)」 と読む。これは追物射を意味する。
- ^ 「きしゃ」と読めば騎射一般、「うまゆみ」と読めば朝廷で行われた、流鏑馬に類似した行事を意味する。
- ^ 『二中歴』相撲に「氏長(薩摩)」とある。
- ^ 古典文庫本の重松明久の注では、舂塩と辛納豆に分ける。舂塩は不詳、辛納豆は唐納豆とする。また塩辛と納豆を分ける説もあり、だとすれば平安時代に糸引き納豆があった可能性もある。
- ^ 写本によっては「濁醪」とするものもある。
- 1 新猿楽記とは
- 2 新猿楽記の概要
- 3 右衛門尉一家の描写
- 4 最近の出版
新猿楽記と同じ種類の言葉
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