文徳源氏
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文徳源氏 | |
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本姓 | 源朝臣 |
家祖 | 第55代文徳天皇の皇子 |
種別 | 皇別 |
出身地 | 山城国 |
著名な人物 | 源能有 |
支流、分家 | 坂戸氏(武家) など |
凡例 / Category:日本の氏族 |
文徳源氏(もんとくげんじ、旧字体:文德源氏)は、第55代文徳天皇の皇子を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。
概要
源氏には祖とする天皇別に二十一の流派(源氏二十一流)があり、文徳源氏はそのうちの一つで文徳天皇から分かれた氏族である。
仁寿3年(853年)能有・時有・本有・載有の4皇子と、憑子・謙子・列子・濟子・奧子の4皇女に対して、源朝臣姓を与え、左京職に隷したのを始まりとする[1]。貞観3年(861年)にも行有・富子の皇子女が同じく源朝臣姓を与えられて臣籍降下した[2]。
文徳天皇には13人の皇子がいたとされるが、そのうち8人の皇子が臣籍降下して源氏を称した。このうち、子孫を残したのは源能有、源本有、源定有、源行有、源載有の5人である。特に源能有の子孫は、平安時代中期の源惟正(能有の曾孫)まで公卿に昇るなど繁栄したことから、その一族をして一般的には文徳源氏ということが多い。また、この流れから院政期には白河法皇が創設した北面武士に参加した源康季を出すが、康季が河内国坂戸牧を本領としたことから、この子孫は坂戸源氏を称した[3]。
系譜
- 文徳天皇諸皇子系譜
- 源能有流(嫡流)系図
- 太字・数字は嫡流歴代当主。
当元[b 1] | 人鑑[b 2] | 兼遠[b 3] | 崇年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
慶助 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暹清[b 4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠相[b 5] | 為泰 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
為国[b 6] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
相平[b 7] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟繇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
源能有1 | 当時2[b 8] | 相職3[b 9] | 惟正4[b 10] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟長 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟光 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当相[b 11] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
相明 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
相国[b 12] | 忠直[b 13] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠教[b 14] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠信[b 15] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
弘景[b 16] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠直[b 17] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠光[b 18] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠義[b 19] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠清 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠敏[b 20] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中明[b 21] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寛延[b 22] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当鑑[b 23] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当方[b 24] | 純忠[b 25] | 憲章 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
純仁 | 宗利 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当年[b 26] | 中正[b 27] | 国頼[b 28] | 忠信[b 29] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠臣 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠節 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国光[b 30] | 致文[b 31] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
致遠[b 32] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
致治[b 33] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
致時[b 34] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
遠瞻 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中理 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当純[b 35] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当季[b 36] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- ^ 「当」の正しい書体は旧字の「當」(他も同じ)。従五位上讃岐介。
- ^ 「鑑」の正しい書体は旧字の「鑒」。従五位上因幡守。
- ^ 従五位上備中介。
- ^ 「清」の正しい書体は旧字の「淸」。僧。
- ^ 正五位下左近衛少将。
- ^ 「国」の正しい書体は旧字の「國」。
- ^ 左近衛将監。
- ^ 従三位中納言検非違使別当。
- ^ 従四位下右大弁、左近衛少将。
- ^ 従三位修理大夫、参議右近衛中将。
- ^ 蔵人。
- ^ 正五位下伊勢守。
- ^ 典薬助。兄弟が同名であり同一人物か。また、兄とされる源忠直の子が因幡守源弘重であり、弟とされる源忠直の子が同じく因幡守の源弘景であるなど不自然な部分がある。また因幡守源弘景は源相国の子にもおり、従五位下因幡守源弘景と記述されるなど混乱があるものと思われる。
- ^ 木工頭。
- ^ 帯刀。
- ^ 従五位下因幡守。兄・忠直または弟・忠直の子か。
- ^ 典薬助。兄弟が同名であり同一人物か。
- ^ 左衛門尉。
- ^ 弾正忠。
- ^ 五位。
- ^ 加賀守。
- ^ 僧。俗名は源中鑑(「鑑」の正しい書体は旧字の「鑒」)。
- ^ 「鑑」の正しい書体は旧字の「鑒」。従五位下。
- ^ 従五位下信濃守。
- ^ 斎院次官。
- ^ 従五位上大蔵大輔。
- ^ 検非違使、従五位上筑前守。『後撰和歌集』に入選。
- ^ 「国」の正しい書体は旧字の「國」、「頼」の正しい書体は旧字の「賴」。従四位下河内守。
- ^ 五位
- ^ 「国」の正しい書体は旧字の「國」。検非違使、従四位上右衛門権佐、左少弁、民部大輔。
- ^ 従四位下越前守、武蔵守、左少弁、蔵人。
- ^ 従四位上出羽守、但馬守。
- ^ 従五位下越中守、掃部頭。
- ^ 従四位下紀伊守、中務少輔。
- ^ 従五位上少納言。
- ^ 正五位下右近衛少将。
主な文徳源氏
氏族
- 坂戸氏
脚注
文徳源氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)
55代文徳天皇の子孫。天安御後。詳細は「文徳源氏」を参照。 源能有は右大臣となった。 氏族:坂戸氏 文徳源氏 系図 文徳天皇諸皇子系譜 (55)文徳天皇 惟喬親王 惟脩親王 (56)清和天皇 惟彦親王 (文徳平氏へ) 惟恒親王 源毎有 源能有 源能有流(嫡流)へ 源時有 源本有 綏之 源定有 雅固 実時 惟信 能信 景日 雅胤 源行有 清雅 源載有 邦紀 仲文 千恵 源清廉 行方 行義 忠全 源富有 ^ 四品大宰帥上野太守小野宮。 ^ 四品上総太守。 ^ 四品中務卿。 ^ 三品兵部卿。 ^ 従四位下。 ^ 正二位右大臣。 ^ 正四位下治部卿。 ^ 読みは「やすゆき」。従四位下因幡守。 ^ 正四位下大蔵卿。 ^ 従五位下内匠頭。 ^ 勘解由次官。 ^ 僧。 ^ 従五位下摂津守。 ^ 従四位上大宰大弐。 ^ 正四位下周防守。 ^ 従五位下。 ^ 僧。 ^ 加賀介。
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