改訂版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:33 UTC 版)
ランダムハウスから1957年に出版された『肩をすくめるアトラス』がベストセラーになったのを受け、1959年には、『われら生きるもの』の改訂版が出版された。改訂版のテキストには、ランドがいくつかの修正を行った。改訂版の序文で、ランドは「すべて変更は編集上の文言の修正にすぎない」と明言している。しかしランドの説明にもかかわらず、一部の変更は、思想的に重要な意味があると見なされてきた。たとえば初版には、共産党員でGPU諜報部員の学生アンドレイ・タガノフから「きみが言いたいことはわかる。我々の敵の口癖だ。理想は素晴らしいが手段がいけない」と言われたキラが、「理想がいけないのよ。手段は素晴らしいの」と答えるシーンがある。改訂版では、キラは「理想がいけないのよ」とだけ答える。また、その数ページ後のアンドレイの「知らないのかい?〔……〕少数の人間のために何百万人を犠牲にできないことを?」というセリフに続くキラのセリフの中に、初版では「あなたが言う大衆って、地べたに踏みつけられる泥とか、しかるべき人たちのために燃やされる燃料に過ぎないんじゃないかしら?」という文があったが、改訂版ではランドがこの文を削除している。 こうした変更の重要性に関しては、様々な議論がある。ランド研究者のミミ・リーセル・グラッドスタイン (Mimi Reisel Gladstein) は、「ランドは、この改訂が最小限のものであったと主張している。初版と改訂版を読み比べた読者の中には、『最小限』の定義に疑問を持つ者もいる」とコメントしている。ロナルド・E・メリル(Ronald E. Merrill)によれば、初版では、キラは「極めて明示的にフリードリヒ・ニーチェの倫理的立場を採用している」。ランドは、『水源』を出版する前にニーチェと決別した。バーバラ・ブランデン (Barbara Branden) は、「こうした変化に気づいて当惑した読者もいた」と述べているが、「ランドはニーチェと異なり、優れた人間には自身の目的を達成する手段として物理的な力を行使する権利があるかのように示唆することを、許されざる不道徳として拒絶していた」と主張している。ロバート・メイヒュー(Robert Mayhew)は、「これらの箇所を、アイン・ランドの思想的発展における初期ニーチェ主義的段階の強い証拠であると即断すべきではない。これらの表現は、(ランドが若かりし頃ニーチェに関心を持った結果であるにせよ)ごく隠喩的なものだからである」と警告している。スーザン・ラブ・ブラウン(Susan Love Brown)は、「メイヒューは、変更に関するランドの主張の擁護者になっており、ランド自身が自分のやり方の誤りに気づいて修正したという事実を、隠蔽している」と反論している。 今日読まれている『われら生きるもの』のほとんどは改訂版であり、初版は稀覯本である。改訂版は既に300万部以上が売れている。
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