撰銭令とは? わかりやすく解説

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撰銭令

読み方:エリゼニレイ(erizenirei)

室町幕府戦国大名撰銭制限した命令


撰銭令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/16 07:20 UTC 版)

撰銭令(えりぜにれい)とは、室町時代室町幕府大名などが撰銭を禁止するもの。室町時代前後、商品経済の発達に伴って貨幣の流通が著しく増えて税の銭納化も進められていた。貨幣は従来の宋銭に加えて明銭が併用されており、需要が増えるにしたがって悪質な私鋳銭や粗悪な渡来銭も流通し、民衆が取引においてこのような悪銭を嫌ったために良銭を撰ぶ撰銭がおこなわれ、円滑な流通が阻害されていた。

発布の過程とその影響

そこで室町幕府や多数の大名が撰銭令を度々発令し、悪銭と良銭の混入比率を決めたり、一定の悪銭の流通を禁止することを条件に貨幣の流通を強制した。しかしその支配が地域的であったことや鐚銭を排除しようとする民衆が多く、満足な結果は得られなかった。また、織田信長は、撰銭をしたものに厳罰を与えた。その後、信長は悪銭と良銭との交換レートを定める政策に改めている。

従来、撰銭令は撰銭そのものをなくすためのものだと理解されてきた。しかし、それでは撰銭令は、室町幕府などが自ら大量に所有する粗悪な渡来銭などを市民に押し付けるための、利己的な悪法に過ぎないことになる。むしろ撰銭を「制限」する一方で、混入比率や交換比率など、一定の撰銭行為を「公認した」という面に注目すべきだという意見が、今日では強まっている。もともと渡来銭などを持っていない一部の地方大名などは、むしろ領内から悪銭を排除するために撰銭を「公認」する度合いが強いからである。

撰銭を禁じた大名から良貨を大量に仕入れ、これを融解して悪貨を作って戻せば莫大な利益が出ることになり、これでは禁じた本人が大損害をこうむるばかりか粗悪な贋金を奨励して重大なインフレを招きかねない。そうならなかったのは、むしろ粗悪な渡来銭を積極的に流通させていたのが、室町幕府ら中央の権門のほうであり、悪銭の中心は渡来銭だったことを明示している。積極的な海外貿易推進者であった戦国大名大内氏分国法「大内氏掟書」には自分への貢納銭は撰銭し、庶民は撰銭するなと記している。

元や明では銅銭の輸出は法律上禁止されていたが私鋳銭や地方政府に発行させた時期の鋳銭は粗悪で忌避されていた為、正式な官貿易を独占していた大内氏や細川氏、私貿易を行って居た大寺院は、これを金属としての本来価値に近い対価で容易に入手しており、中国貿易では一億枚単位の輸入さえ行われた。したがって仮に撰銭がおこなわれて「洪武銭」のたぐいが差別されても、彼らは大きな損失を被ることはなかった。「堺銭」などのように、明や日本の贋金をあつめられる立場にあった者が、他人に故意につかませる行為さえあったのである。むしろ、撰銭がおこなわれ、かつ一定の制限のもとであるにせよ公認された事実は、中国製貨幣の信用度に大きな打撃を与えたことになる。

なお、撰銭令が出された目的は、飢饉や戦乱に際し米の価格の抑制することだという説もある。この説を取る場合、撰銭令が何度も出されたのは、守られなかったからではなく、米価高騰や戦争の都度に出されていたからだ、ということになる[1]

脚注

  1. ^ 高木久史『日本中世貨幣史論』(校倉書房、2010年)P133-169

参考文献

  • 中央公論社『日本の歴史 11 戦国大名』

関連項目


撰銭令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)

日本の貨幣史」の記事における「撰銭令」の解説

輸入銭は断続的に減少した足利義持による日明貿易断絶や、明の海禁政策加えて減少から明の鋳造低調となったことが原因である。国内では硬貨の不足によって撰銭を巡るトラブル絶えず、撰銭制限するための撰銭令が出されるうになる中世の撰銭令は15世紀後半から頻発し1485年から1582年までの主な撰銭令は55回にのぼる。撰銭令の内容は、(1)納税における銭種の指定、(2)売買における銭種の指定(3)貸借における銭種の指定、(4)売買における買い手購買力保証などがあった。統治者にとって撰銭治安を乱す行為と見なされ、撰銭令の罰則生命刑死罪)や財産刑私宅没収)など厳しかった1540年代前半から1560年代半ば西日本は撰銭令が沈静化しており、原因として、日本での銀生産増加と、明の銀財政影響輸入銭が増えた点がある(後述)。 撰銭令に登場する悪貨として、うちひらめ、さかひ銭、ほろ、焼銭(やけせん)、ゑみやう、大欠(おおかけ)、破(われ)、磨り、南京京銭きんせん)などがある。銅貨不足が解消されないため撰銭続き代わりに物品貨幣である米の普及進んだ。撰銭令も米の普及影響しており、16世紀後半畿内では撰銭令の発布から2、3年後に米での支払い増えている。

※この「撰銭令」の解説は、「日本の貨幣史」の解説の一部です。
「撰銭令」を含む「日本の貨幣史」の記事については、「日本の貨幣史」の概要を参照ください。

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