指定までの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 09:06 UTC 版)
1949年(昭和24年)当時佐世保市長だった中田正輔により、国立公園指定へ向けた動きが始まった。 戦前までは特に九十九島地域において軍港に近いために写真撮影が禁止されるなどの種々の制限があったことから、観光地としてはあまり知られていない地域であったために実現を疑問視する声は大きかったが、中田市長の熱意の下、県や周囲の町村を動かし、一市五十三町村からなる「西海国立公園指定期成会」を1950年(昭和25年)に設立した。1951年(昭和26年)には西海国立公園の実現を公約に掲げた西岡竹次郎知事が誕生。市は東京大学、京都大学、長崎大学にそれぞれ周辺の地理や歴史、風俗などの調査を依頼し、また厚生省に幾度も陳情し同省の官僚や国立公園審議会の委員を招き、県は国立公園指定の請願書を衆議院及び参議院へ提出した。また、当時毎日新聞社が行った日本観光地百選に九十九島は海岸の部で3位に入賞するという動きもあった。 そうした努力と真価が認められ、1954年(昭和29年)8月の国立公園審議会では満場一致で国立公園に決定、翌1955年3月に政府が公式発表を行い、ここに西海国立公園が誕生した。
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