戦前・戦中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 12:04 UTC 版)
「日本の学校制度の変遷」も参照 日本の高等学校の通学区制度の前史としては、戦時期の日本の中等学校に適用された「学区制」と「総合考査制」が挙げられる(戦後の「総合選抜」は戦時期の「総合考査」を言い換えたものという指摘がある)。 いわゆる「戦前」の日本の教育制度では、ヨーロッパ式の複線型(分岐型)学校体系が採用されており、中等教育機関として旧制中学校・高等女学校・実業学校があった。それぞれの学校は依拠する法令が異なり、それぞれの学校種別内でも教育内容には多様性があった。たとえば高等女学校の中には実科(家事や裁縫などの「女子の実生活に必要な技芸」を授ける実科教育を中心とする課程)のみを置く実科高等女学校も認められており、修業年限も4年を基本としながら、2年から5年まで幅があった。学校間の序列性は、通学者の家庭の「階層性」をともなって存在した。とくに学校によって教育内容の異なる高等女学校では、そうした序列がはっきりしていたとされ、メディアなどを通して伝えられる「学校イメージ」や、「社会的威信」にもまた大きな格差があった。 中等教育機関への進学希望は大正時代後半以降高まり、昭和初期にはすでに小学校児童の過度の受験勉強や、小学校での補習授業の公然化など、過熱する入試競争が問題視される状況が出現していた。文部省は入学者選抜制度の是正をしばしば試みることになる。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)1月に中等学校令が公布され、旧制中学校・高等女学校・実業学校が制度上は同格の学校と規定された。同年12月には中等学校への入学者選抜に「学区制」が採用され、一つの学区内に複数の学校がある場合には「総合考査」によって配当するとした。
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