忘却と再発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:56 UTC 版)
金子みすゞの詩は長らく忘れられていた。童謡詩人の矢崎節夫が大学1年生だった1966年、岩波文庫『日本童謡集』所収のうちの唯一の金子みすゞ作品「大漁」を読んで感動し、以後16年、作品探しなど金子みすゞの足跡を探した。金子みすゞの実弟と巡り会って保管されていた遺稿集3冊を委ねられ、1984年に『金子みすゞ全集』(JULA出版局)として刊行した。 東京大学の入試問題(1985年国語第二問)には「積もった雪」「大漁」が採用されている。現在では代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語教科書に採用されることも多い[要検証 – ノート]。 また、このことをきっかけに地元長門でもみすゞの再評価が行われることとなり[要検証 – ノート]、みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館。矢崎は館長に就任した。 一方、『長周新聞』によると、かつて同紙の主幹であった福田正義が矢崎をはるかに遡る1937年、雑誌『話の関門』の中で金子みすゞの生涯と作品を紹介したとしている。ただし、当時の福田の紹介は地元(下関)の雑誌で掲載されたものであり、後の矢崎の紹介ほど広く知らしめるには至らなかった[要検証 – ノート]。 現在では下関市の下関市立文関小学校、下関市立名池小学校と長門市の長門市立通小学校、長門市立仙崎小学校との間で『金子みすゞ交流会』が交互に場所を移して開催されるなど、学校教育の中にも金子みすゞの詩を取り入れる動きがある。
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