忘却と再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:55 UTC 版)
「ウィリアム・アドルフ・ブグロー」の記事における「忘却と再評価」の解説
19世紀以前のフランスの画家の出世コースは、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)で学び、ローマ賞を得て公費でイタリアに留学し、サロン(官展)に毎年出品し、美術アカデミーの会員となり、エコール・デ・ボザールの教授になるというのが典型的なパターンであった。ブグローはこのような当時の画家の絵に描いたようなエリートコースを歩んだ画家であった。印象派が生まれた19世紀末のフランス画壇において中心を占めていたのはラファエロ、プッサンらの系譜に連なるアカデミスムの絵画であり、ブグローもその一員であった。20世紀に入り、印象派、ポスト印象派、キュビスム(立体派)などのモダニスムの台頭とともに、これに対抗する旧勢力としてのアカデミックな絵画は等閑視されるようになり、やがて美術史から忘れ去られた存在となった。しかし、20世紀末頃からアカデミスム絵画を再評価し、美術史の上で正当に位置付けようとする動きが高まり、ブグローについても再評価がなされるようになった。1984年にパリのプティ・パレ美術館で行われた回顧展以降、ブグローへの評価と関心が高まり、彼は19世紀フランスを代表する画家の一人と見なされるようになっている。
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