式守錦太夫_(12代)とは? わかりやすく解説

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式守錦太夫 (12代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 16:49 UTC 版)

12代式守錦太夫
12th Shikimori Kindayū
基礎情報
行司名 式守裕光
→ 4代式守慎之助
→ 12代式守錦太夫
本名 おしだ ひろみつ
 押田 裕光
生年月日 (1973-04-29) 1973年4月29日(51歳)
出身 日本千葉県柏市
所属部屋 二所ノ関部屋
松ヶ根部屋
→ 二所ノ関部屋
→ 放駒部屋
データ
現在の階級 幕内格行司
最高位 幕内格行司
初土俵 1989年3月場所
幕内格 2014年1月場所
趣味 プロレス観戦
備考
2021年12月24日現在

12代 式守 錦太夫(しきもり きんだゆう、本名:押田 裕光(おしだ ひろみつ)、1973年4月29日 - )は、大相撲幕内行司である。血液型A型千葉県柏市出身。現在は放駒部屋所属。元関脇麒麟児(19代北陣)は義理の叔父にあたる[1]

人物

もとは力士志望であったが身長が規定に足りず、柏市立柏中学校時代に麒麟児から行司としてスカウトを受けた[1][2]。中学卒業後の1989年(平成元年)3月場所で初土俵。1996年1月場所で旧二所ノ関部屋の名跡である式守慎之助(4代)を襲名。2006年3月場所で十両格に昇進した。

2013年1月場所後に二所ノ関部屋は所属力士が全員引退して消滅したため、松ヶ根部屋に移籍[3]

2014年1月場所で幕内格に昇進すると同時に、先代(11代)立行司昇進で空き名跡となっていた式守錦太夫(12代)を襲名した。同年12月1日に所属部屋師匠の9代松ヶ根が12代二所ノ関を襲名したことに伴って、所属部屋が二所ノ関部屋に戻った。ちなみに、新調された二所ノ関部屋の看板は錦太夫の筆によるものである[4]。2021年12月24日、所属部屋の師匠が18代放駒に代替わりしたため、放駒部屋所属になった[5]

なお、式守慎之助から式守錦太夫を襲名する流れは、二所ノ関部屋の兄弟子にあたる29代木村庄之助や、10代式守錦太夫と同じである。軍配は29代庄之助からの譲り団扇で「中道実相」(どこからも等距離の円の中心のように公平な立場で)と記されている[6]

本場所中は、土俵上の裁きだけでなく、場内アナウンスを務めている姿が目撃される。

2014年5月場所6日目、この日は東の幕内土俵入りで先導を務めるはずだったが、付け人の情報伝達ミスで錦太夫は当番であることを知らず、土俵入りに遅刻するハプニングを起こした。結局、土俵入りの先導は直前に西の土俵入りを担当した木村恵之助が代理を務めることになった[7]

趣味はプロレス観戦。

略歴

脚注

参考文献

  • 「相撲」編集部『知れば知るほど行司・呼出し・床山』2019年5月15日発行、ベースボール・マガジン社 ISBN 978-4-583-11204-6

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