平田禿木とは? わかりやすく解説

ひらた‐とくぼく【平田禿木】

読み方:ひらたとくぼく

[1873〜1943英文学者随筆家東京生まれ東京高師卒。本名喜一郎。「文学界創刊参加サッカレーの「虚栄の市」など英米文学名訳知られる著作に「英文学印象記」「禿木随筆」など。


平田禿木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 19:40 UTC 版)

平田 禿木ひらた とくぼく
ペンネーム 平田禿木、鬱孤洞主、松茶庵ほか
誕生 平田喜一
1873年2月10日
東京日本橋
死没 (1943-03-13) 1943年3月13日(70歳没)
東京本郷
墓地 両国回向院
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 東京高等師範学校英語専修科
活動期間 1892年 - 1943年
ジャンル 西欧文学研究、英語文学翻訳、随筆
文学活動 文学界
配偶者 (水野)恵音、後添いに(水野)三津
子供 二女六男
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平田 禿木(ひらた とくぼく、1873年明治6年)2月10日 - 1943年昭和18年)3月13日)は、英文学者翻訳家随筆家

生涯

本名は平田喜一。喜十郎・みきの長男として、日本橋伊勢町(現・東京都中央区日本橋本町一丁目に生まれた。家業は染料・薬品の輸入商。未熟児だったので、街なかより田園の方がと、大宮の母方の叔父、永田荘作方で育った。叔父は蔵書家だった。

1884年(明治17年)、共立学校に入り、やがて同人雑誌を出すなどした。1887年(明治20年)、町内の星野天知洗礼を受けたものの、キリスト教熱は一時的だった。実家と大宮を往復するように暮らした。

1890年(明治23年)、第一高等学校に進み、ウォルター・ペイターの『文芸復興』にめぐり会い、その芸術至上主義の感化を受けた。さらに、バイロンシェイクスピアテニソン、また、山家集徒然草なども耽読し、1893年(明治26年)、同人に加わって興した文学界誌の創刊号に『吉田兼好』を載せた[1]

数学が駄目で、1895年(明治28年)に第一高等学校から東京高等師範学校英語専修科へ移った。英語は既に抜群だった。

1898年(明治31年)から約3年、母校の附属中学の教員を勤めた。旧知のフェノロサと同僚になり、その能楽研究を助けた。1901年(明治34年)からは、本校の教師になった。文学熱が戻り、『太陽』誌・『明星』誌などに寄稿した。

1903年(明治36年)から3年間、文部省留学生としてオックスフォード大学に留学し、島村抱月下村観山三土忠造和田英作らを知った。

帰国後は、東京高等師範学校・女子学習院明治大学英語専修科・第三高等学校で、転々と教鞭を執り、その間の1907年(明治40年)、水野恵音と結婚して一女をもうけた。恵音は1909年(明治42年)に亡くなり、1911年(明治44年)に恵音の妹三津と再婚して、のち一女六男を得た。しだいに文壇から遠ざかり英文学者として生活し、書斎に籠もるようになった。英語青年誌との縁を深くした。

1914年大正3年)(41歳)以降、多くの英文学の翻訳を国民文庫研究会から出版した→(翻訳)。1918年(大正7年)、『英語文学』を創刊し、戸川秋骨竹友藻風山宮允野口米次郎日夏耿之介辻潤生田長江らが執筆したが、1921年(大正10年)で終わった。

1934年昭和9年)以降、請われて法政大学で週一度講義した。1943年3月13日に亡くなった。墓は、東京都墨田区両国二丁目の両国回向院にある。

おもな文業

各行の → 印の後ろは、最も新しいと思われる改版。

英文学

  • 『英文典』、文学社(1901)
  • 『新式会話文法教科書』(佐伯好郎と共著)、鍾美堂(1902)
  • 『近代英詩選』、和蘭陀書房 アルス欧文叢書(1915) → 英光社 英文名作双書(1982)
  • 『最近英文学研究』、研究社(1919)
  • 『英文学印象記』、アルス(1924)
  • 『神曲余韻』、媽祖書房(1937)
  • 『研究社英米文学語学講座 伝記・書簡及日記文学』、研究社(1941)
  • 『研究社英米文学語学講座 英国史』、研究社(1941)
没後
  • 『英文学史講話 上下』、全国書房(1948 & 1949)
  • 『英文学への道』、南雲堂 不死鳥選書(1956)

随筆

  • 『英文学散策』、第一書房(1933)
  • 『炉に凭りて』、文体社(1934)
  • 『書窓雑筆』、双雅房(1935)
  • 『禿木随筆』、改造社(1939)
  • 『早春雑筆』、青木書店(1939)
  • 『双竜硯』、七丈書院(1941)
没後
  • 『禿木遺響文学界前後』、四方木書房(1943) → 日本図書センター 明治大正文学回想集成(1983)

翻訳

選集

没後
  • 島田謹二・小川和夫編:『平田禿木選集 第1 - 3巻』、南雲堂(1981)
    • 第1巻:英文学史講話。第2巻:英文学エッセイ。第3巻:翻訳エリア随筆集。
  • 島田謹二・小川和夫編:『平田禿木選集第4,5巻』南雲堂(1986)
    • 第4巻:英文学エッセイ2。第5巻:明治文学評論・随筆。

出典

  • 昭和女子大学近代文学研究室:『近代文学研究叢書 第50巻』、昭和女子大学近代文学研究所(1980)
  • 平田禿木:『文学界前後(抄)』、『筑摩書房 現代日本文学全集97(1958) 』所載

脚注

  1. ^ 文学界掲載稿の一部は、『筑摩書房 明治文学全集32(1977)』に収録されている

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