岩槻大岡家(忠房系)
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大岡忠房を始祖とする。上総勝浦藩・武蔵岩槻藩の藩主を世襲した大岡家の分家。家紋は同じく大岡七宝。寛永10年(1633年)に大岡宗家当主・大岡忠政の三男・大岡忠吉が第2代将軍徳川秀忠の娘・東福門院(和子)に近侍して、2300余石を与えられたことに始まる。忠吉の子・大岡忠房の曾孫・大岡忠光は第9代将軍家重の側用人となり、上総国夷隅郡勝浦1万石の大名となる。後、武蔵国埼玉郡岩槻に2万石で移封された。後に、忠固の代に3千石加増され2万3千石となった。 最後の岩槻藩主大岡忠貫は、1869年(明治2年)に版籍奉還で知藩事に転じるとともに華族に列し、1871年(明治4年)の廃藩置県まで知藩事を務めた。華族令施行後の1884年(明治17年)7月8日に旧小藩知事(岩槻藩は現米8880石だったので現米5万石未満の小藩に該当)として子爵に叙せられた。昭和前期に岩槻大岡子爵家の邸宅は東京市赤坂区青山南町にあった。 歴代当主 大岡忠房 大岡忠儀 大岡忠利 大岡忠光 大岡忠喜 大岡忠要 大岡忠烈 大岡忠正 大岡忠固 大岡忠恕 大岡忠貫 大岡忠量 大岡忠礼 大岡忠憲 大岡忠恒 - 子に大岡忠誉(1974年 - )。
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