岩倉恒具とは? わかりやすく解説

岩倉恒具

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 06:13 UTC 版)

 
岩倉 恒具
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年7月24日1701年8月27日
死没 宝暦10年7月29日1760年9月8日
改名 具修(具脩)、恒具
戒名 覚円院
官位 従二位権中納言
正二位
主君 中御門天皇桜町天皇桃園天皇
氏族 岩倉家
父母 父:岩倉乗具、母:家女房
兄弟 恒具千種有敬植松賞雅
本多長員の娘
養子:岩倉尚具
重恒(八幡杉本坊)[1]
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岩倉 恒具(いわくら つねとも)は、江戸時代中期の公卿。官位は従二位権中納言正二位追贈[1][2]。宝暦勤王二十廷臣の一人[3]

経歴

元禄14年(1701年)、岩倉乗具の子として生まれる[1]。母は家女房[1]。初名は具修[1](具脩[2])。兄弟は千種有敬植松賞雅[1]

宝永元年(1704年)に従五位下に叙爵。正徳4年(1714年)に元服とともに従五位上侍従となる。享保3年(1718年)に正五位下。享保4年(1719年)に恒具と改名する。その後も累進し、左近衛少将右近衛中将を経て、享保17年(1732年)に従三位に達して公卿に列した。その後、正三位参議左近衛中将を経て宝暦3年(1753年)に従二位権中納言となったが、宝暦8年(1758年)に宝暦事件連座

宝暦10年(1760年)7月29日 、死去した[3][1]。60歳[2]。号は覚円院[1]

弟・植松賞雅の子・尚具を養子とした[1]

明治24年(1891年)、正二位を追贈された[3]

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 今井ほか 1984, p. 353.
  2. ^ a b c 坂本 1944, p. 148.
  3. ^ a b c 坂本 1944, p. 148,159.

参考文献

関連項目

外部リンク

先代
岩倉乗具
岩倉家
第6代
次代
岩倉尚具




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