寝殿造の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
奈良時代の上層住宅と寝殿造の一番はっきりした違いは、前者が壁と両開きの妻戸(画像310)による閉鎖的な屋内であるに対し寝殿造は壁の代わりに蔀で覆い、夜は閉ざすが昼間はそれを開けて開放的な屋内空間を作ることである。これは大陸の住宅にはない。国内でも奈良時代には無かった。そして寝殿造の時代においても下層の住宅には無かった。庶民の住宅は江戸時代初期まで閉鎖的な作りである。 ここでのポイントは「蔀」(しとみ)である。蔀、あるいは格子(画像321)の記録上の初出は承和10年(843)に建てられた東寺の灌頂院・礼堂の図である。「蔀」が住宅に用いられて開放的な室内を実現している最初の記録は仁寿2年(852)の「尼証摂施入状」である。 尼証摂が宇治花厳院に奉納した「五間檜皮葺板敷東屋」は、南・東・北の三方に庇があったが、それらの庇の柱間にはすべて「板蔀」が懸けられていた。太田博太郎はこれを画像830のような図で説明し「寝殿造の寝殿や東西対の平面はこのようにして出来上がった」と書く。 ただし「蔀による開放的な上層住宅」だけが寝殿造の必要十分条件ではない。寝殿造の成立は都市の成熟、貴族社会の変化、12世紀の寝殿造では普通であった寝殿から左右に伸びる廊、更にその板床化とか、中門廊、侍廊などがどの現れる時期など総合的に考えて10世紀中頃から11世紀初頭とする見方が一般的である。
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