大陸軍への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/29 06:09 UTC 版)
「ジェスロ・サムナー」の記事における「大陸軍への復帰」の解説
サムナーはその後、1780年12月に南部戦線に赴任して来たナサニエル・グリーン将軍に仕えた。グリーンからはノースカロライナからさらに多くの大陸軍兵士を徴募するよう指示された。1781年6月2日、グリーンがサムナーにサウスカロライナで合流するよう命じたので、8月1日に新兵350名を率いて合流した。ノースカロライナ邦では徴兵法が成立していたが、一時的にしろ恒久的にしろ脱走が続き、配下にある勢力は日々変化した。この脱走のためにサムナーは、宿営地での兵士の動向を支配できないと考え、グリーンに個人的に謝罪することとなった。9月8日、ユートースプリングスの戦いで、サムナーの連隊は大陸軍の右翼にあり、イギリス軍による数回の襲撃を止める重要な役割を果たした。グリーンはユートースプリングスでのノースカロライナ兵の働きについて、「最高のベテランと顕彰されるべき程度の頑固さで戦った」と述べて功績を称えた。 ユートースプリングスでの成功に続き、1781年にはグリーンからノースカロライナにおける大陸軍指揮官に指名された。グリーンはサムナーに、主にノースカロライナにおける軍事的状況の支配を取り戻すことを期待していた。これは当時の知事で元は大陸会議の代議員だったトマス・バークが、1781年9月12日、ロイヤリスト指導者デイビッド・ファニングによるヒルズボロでの白昼の襲撃によって捕まっていたからだった。イギリス軍と大陸軍の間の戦闘は、1781年遅くに事実上終息していた。その時点から後、サムナーは病気を再発させたこともあった、一時期には数か月間も上官であるグリーンに何も報告できないことがあった。
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