合併の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 19:46 UTC 版)
大泉村をはじめ、周辺の市町村も合併し北杜市となり、北巨摩郡に残っていたのは小淵沢町だけになったが、この小淵沢町も後に北杜市に編入合併したために、北巨摩郡は消滅した。
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合併の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/29 04:50 UTC 版)
合併予定であった自治体は、田方郡の修善寺町、天城湯ヶ島町、中伊豆町、土肥町、大仁町、戸田村の5町1村。面積は約400平方キロメートル・人口5万人強の、伊豆半島の北中部のほとんどを占める大きな市になる予定だった。しかし、合併協議会設立目前に大仁町が「一体感のある韮山や伊豆長岡と一緒になりたい」との理由で離脱し、戸田村も合併先は沼津市か修善寺市かと村民にアンケートをした結果、沼津市との意見が多かったため離脱した。 残る4町で「修善寺町外3町合併協議会」を設立し、市名の協議の際に修善寺を除く3の町長の間で「新市名を修善寺市にしよう」という話がでたが、これに対して修善寺側が「自分の町の名前が市名になってしまうと他の町に悪い」との理由で反対の意向を示した。 最終的に新市名は「伊豆市」「いず市」「伊豆中央市」「中伊豆市」に絞り込まれ、アンケートでの投票数が一番多く、協議会員による最終選考でも満場一致であった「伊豆市」に決まった。これに対して伊豆地方の他市町から抗議があったものの、合併協議会はその抗議を無視して静岡県に「伊豆市」として合併申請を行い、当時の石川知事の「早い者勝ち」という言葉で「伊豆市」としての合併が認められた。
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