反政府
反政府運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 02:42 UTC 版)
「カルロス・カスティージョ・アルマス」の記事における「反政府運動」の解説
グアテマラ革命の功労者であるアラナとアルベンスの間には緊張が高まり、アラナはアレバロ大統領に最後通牒を送ってアルベンス派を政権から除外しなければクーデターを起こすと恫喝したが、1949年7月18日にアルベンスの手の者に暗殺された:59–69:13-16。アラナの支持者の多くは反乱を起こしたが、指導者を欠いたために失敗に終わった:16。 当時マサテナンゴにいたカスティージョ・アルマスは反乱には加わらなかったが、アラナ派とみなされて司令官の任を解かれ、翌月逮捕された:16-19。12月に釈放された後、カスティージョ・アルマスはCIAを含む国内外の勢力と連絡を取って政府打倒を目指すようになった。彼は翌1950年にラ・アウロラ軍事基地でクーデターを試みたが失敗して負傷し、死刑を宣告されたが、脱獄してコロンビア大使館に逃げこみ、その後亡命した:23-25。一方アルベンスはその年の選挙で圧勝を収め、次期大統領に選出された。 亡命後のカスティージョ・アルマスはCIAと連絡を取りつづけ、CIAは反アルベンス派を支援するPBFORTUNE作戦 (Operation PBFortune) を立てたが、アルベンス政権を倒すには至らなかった:25-41。1953年にドワイト・D・アイゼンハワーがアメリカ合衆国大統領に就任すると、国務長官ジョン・フォスター・ダレスとその弟のCIA長官アレン・ウェルシュ・ダレスはカスティージョ・アルマスにクーデターを起こさせるPBSUCCESS作戦を新たに立てた:37-43。1954年5月にアルベンスがチェコスロバキアから武器を購入したことが明らかになり、最終的にアルベンスが共産主義者につながっていると判断したCIAはクーデターを決断した:48-49。
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