北斉とは? わかりやすく解説

ほく‐せい【北斉】

読み方:ほくせい

中国南北朝時代北朝の一。550年東魏実権高洋文宣帝)が孝静帝から帝位奪って建国。都は鄴(ぎょう)。577年北周武帝によって滅ぼされた。高斉


北斉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 10:08 UTC 版)

北斉

550年 - 577年

北斉と北周・陳・後梁
公用語 漢語(中国語
首都
皇帝
550年 - 559年 文宣帝
559年 - 560年廃帝
560年 - 561年孝昭帝
561年 - 565年武成帝
565年 - 576年後主
(576年 - 576年)(安徳王)
577年 - 577年幼主
変遷
東魏より禅譲 550年
北周によって滅亡577年
中国歴史
先史時代中国語版
中石器時代中国語版
新石器時代
三皇五帝
古国時代
黄河文明
長江文明
遼河文明
西周

東周
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東晋 十六国
劉宋 北魏
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(西魏)

(東魏)

(後梁)

(北周)

(北斉)
 
武周
 
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北宋

(西夏)

南宋

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北斉(ほくせい、550年 - 577年)は、中国南北朝時代に高氏によって建てられた国。国号は単にであるが、春秋戦国時代や南朝のなどと区別するために北斉・高斉と呼ぶ。

歴史

鮮卑化した漢族[1]である国祖の高歓北魏末期の六鎮の乱に加わったが、匈奴族の爾朱栄に鎮圧された。爾朱栄が孝荘帝に殺されると自立して爾朱氏を滅ぼし、孝武帝を擁立して北魏の実権を握った。後に孝武帝が宇文泰の元へと逃がれると孝静帝を擁立して東魏を建て、宇文氏の西魏と対立した。

547年に高歓が死ぬと長男の高澄が後を継ぐが、その直後に河南大行台の侯景が背いて州都もろとも南朝梁に帰順するという事件が発生する。高澄は慕容紹宗を派遣して侯景・梁軍を撃破した。南朝梁に逃れた侯景はその後反乱を起こし、南朝梁を事実上の滅亡に追い込んだ(侯景の乱)。

549年、高澄が南朝梁からの降人の蘭京に殺されると、高澄の同母弟である高洋(文宣帝)が後を継ぎ、翌550年に孝静帝から禅譲を受け北斉を建てた。

文宣帝は華北の支配をめぐり北周と争う一方、北方に勃興した突厥を撃破するなど、軍事面では優勢であったものの、北斉の国内では支配層の鮮卑系武人と漢族(漢族化した鮮卑)を中心とする文人官僚が内部抗争を繰り広げた。北斉後期になると、さらに鮮卑系「恩倖」と呼ばれる皇帝側近の勢力が抗争に加わり、これら三者による対立が激化して北斉の求心力は低下した。後主の時期には、斛律光が粛清され、北周やに対する軍事的優位を失った上、その後も漢人官僚(漢族化した鮮卑)と鮮卑系恩倖による内紛が続き、国内は混乱した。このような状況の中、北周の武帝鮮卑軍の侵攻に対応できず敗北を続け、577年に滅亡した。

王朝滅亡後、旧北斉皇族は当初は武帝に寛大な処置を示されていたが、後に北斉の重臣であった穆提婆の反乱未遂の告発に連座してそのほとんどが処刑された。

北斉の皇帝

  • 高樹生:文宣帝により文穆帝と追尊。
  • 高歓:文宣帝により太祖献武帝、後主の代で高祖神武帝と追尊。
  • 高澄:文宣帝により世宗文襄帝と追尊。
  1. 顕祖文宣帝(高洋、在位:550年 - 559年
  2. 廃帝(高殷、在位:559年 - 560年
  3. 粛宗孝昭帝(高演、在位:560年 - 561年
  4. 世祖武成帝(高湛、在位:561年 - 565年
  5. 後主(高緯、在位:565年 - 576年
    • 高儼:後主により楚恭哀帝と追尊。
    • 安徳王(高延宗、在位:576年) - 北周の侵攻の中で奮戦し、後主が逃亡後の混乱の中で皇帝に即位するが、北周に敗北して囚われた。正史では皇帝の代数には加えられていない。
  6. 幼主(高恒、在位577年


系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高謐
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(追)文穆帝
高樹生
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高翻
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(追)神武帝
高歓
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
清河王
高岳
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(追)文襄帝
高澄
 
1文宣帝
高洋
 
3孝昭帝
高演
 
4武成帝
高湛
 
任城王
高湝
 
楽安王
高勱
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蘭陵王
高長恭
 
安徳王
高延宗
 
2廃帝
高殷
 
楽陵王
高百年
 
5後主
高緯
 
(楚恭哀帝)
高儼
 
長孫晟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6幼主
高恒
 
 
 
 
 
(唐)長孫皇后

年号

  1. 天保(550年 - 559年)
  2. 乾明(560年)
  3. 皇建(560年 - 561年)
  4. 太寧(561年 - 562年)
  5. 河清(562年 - 565年)
  6. 天統(565年 - 569年)
  7. 武平(570年 - 576年)
  8. 隆化(576年)
  9. 承光(577年)

脚注

  1. ^ 《北齊書·本紀·卷一》齊高祖神武皇帝,姓高名歡,字賀六渾,渤海蓚人也。六世祖隱,晉玄菟太守。隱生慶,慶生泰,泰生湖,三世仕慕容氏。……神武旣累世北邊,故習其俗,遂同鮮卑。

参考資料

関連項目

先代
東魏
北斉
550年 - 577年
次代
北周

北斉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 02:40 UTC 版)

袁聿修」の記事における「北斉」の解説

550年天保元年)、北斉が建国されると、太子庶子任じられ本官のまま博陵郡太守代行した557年天保8年)、太府少卿兼ね、まもなく大司農少卿に転じ、さらに太常少卿となった561年皇建2年)、母の喪のため職を去った。まもなく前任の官に復帰して冠軍・輔国将軍の号を加えられ吏部郎中任じられた。しばらくして司徒長史転じ驃騎大将軍の号を加えられ御史中丞兼ねた。ときに太原の王乂の娘は陸孔文との婚約決まっていたが、司徒録事参軍盧思道私的に40を王乂に貸し付けて、彼女を妻に迎えた袁聿修はこのことを知っていながら弾劾しなかったため、御史中丞の任を罷免された。まもなく秘書監転じた天統年間趙郡高叡とともに五礼改定議論した信州刺史任じられ故郷に錦を飾った武平年間離任するにあたっては、州民の鄭播宗ら700人あまりが頌徳碑建立願い出て中書侍郎李徳林文章で功績刻まれた。ほどなく信州中正兼ねたまま、都官尚書任じられた。吏部尚書儀同三司転じ、まもなく正式に吏部尚書となった

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