前期国分僧寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 14:40 UTC 版)
詳細は「甲賀寺」、「紫香楽宮跡内裏野地区」、および「瀬田廃寺跡」を参照 延暦4年(785年)の焼失以前の近江国分寺(前期近江国分僧寺)の所在については明らかでなく、甲賀寺が転用されたとする説、瀬田廃寺跡とする説などが挙げられている。 甲賀寺の転用説では、特に『正倉院文書』天平勝宝3年(751年)の「奴婢見来帳」に「甲賀宮国分寺」と見えることが注目される。推定地である紫香楽宮跡内裏野地区(甲賀市信楽町黄瀬・牧、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度55分5.82秒 東経136度4分57.84秒 / 北緯34.9182833度 東経136.0827333度 / 34.9182833; 136.0827333 (紫香楽宮跡内裏野地区(甲賀寺跡推定地、前期近江国分僧寺跡推定地)))の主要伽藍は東大寺式伽藍配置になる。寺域では、紫香楽宮跡の他の関連遺跡群とは主軸の傾きが異なる(造営時期が異なる可能性がある)点や、火災痕が検出された点が指摘される。 瀬田廃寺跡(大津市野郷原・神領、北緯34度58分6.03秒 東経135度54分56.13秒 / 北緯34.9683417度 東経135.9155917度 / 34.9683417; 135.9155917 (瀬田廃寺跡(前期近江国分僧寺跡推定地)))の説では、寺跡が近江国府の西辺の真南に位置するという、国府との立地関係などが注目される。主要伽藍は四天王寺式伽藍配置で、塔礎石には火熱痕が認められている。 紫香楽宮跡内裏野地区(甲賀市信楽町黄瀬・牧) 瀬田廃寺跡(大津市野郷原・神領)
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