制裁攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:10 UTC 版)
フセインは安保理決議688を不服として、戦闘機による飛行や地対空ミサイル配備などを行っていた。また、UNSCOMの査察により、ウラン濃縮施設やミサイル部品工場が存在しているとの疑惑が示された。これらを挑発行為と受け取ったジョージ・H・W・ブッシュ大統領は退任3日前の1993年1月17日(湾岸戦争開戦2周年)、イラク制裁を旨としてイギリス・フランスと共にトマホークミサイル45基を中心とした攻撃を行い、疑惑のザーファラエニ工場(バグダッド)を破壊し、戦闘機の撃墜や空軍施設の空襲を行った。 新たに就任したビル・クリントン大統領も同年6月26日、23基のトマホークで情報施設を攻撃した。理由として、4月にブッシュがクウェートを訪問した際に暗殺計画があったことを挙げた。 1995年、フセイン大統領のいとこに当たるフセイン・カーミル・ハサン中将が亡命し、イラクの生物兵器開発計画を暴露した。イラクはこれまで生物兵器の開発を否定していたものの、これ以降は認めざるを得なくなった。これ以降UNSCOMは抜き打ちでの調査を開始し、イラクの反発を買うことになる。 その後、クルド人過激派によるテロなどの行動が激しさを増し、国境を越えた広がりをもった。そのためトルコは、クルド人過激派の掃討のため、1995年にイラク北部へ越境攻撃を行った。イラク自身も1996年8月にクルド人地域イルビルを攻撃したが、アメリカは9月3日から4日まで44基のトマホークで軍事施設に攻撃を加え、8箇所の防空ミサイル施設、7箇所の防空指揮管制施設を破壊した。 「クルド人」も参照
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