ぶんかつ‐とうち【分割統治】
分割統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 07:30 UTC 版)
分割統治(ぶんかつとうち、英語:divide and rule、ラテン語:divide et impera)とは、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法であり、分断統治や分断工作とも呼ばれる。被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けることができる。統治者が被統治者間の人種、言語、階層、宗教、イデオロギー、地理的、経済的利害などに基づく対立、抗争を助長して、後者の連帯性を弱め、自己の支配に有利な条件をつくりだすことを狙いとし、植民地経営などに利用された[1]。
- ^ 分割統治 ぶんかつとうちdivide et imperaコトバンク
- ^ 少数民族問題(ミャンマーの)コトバンク
- ^ ビアフラ戦争 ビアフラせんそうNigerian Civil Warコトバンク
分割統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:52 UTC 版)
第二次世界大戦の戦局が連合国軍に優勢になると、連合国では戦後処理に関する協議が開始された。1943年10月にはモスクワで英米ソの3か国による戦後処理についての外相会談(モスクワ会談:en)が行われ、ドイツの無条件降伏とナチス政権の潰滅、3か国による暫定分割統治、復興協議機関としてのFACの設立などが合意事項として決定され、テヘラン会談で具体的なガイドラインが定められた。 1944年1月の第一回FAC会議で、イギリスのクレメント・アトリー副首相からドイツ領土、および特別地域として扱われた首都ベルリンの共同統治案が出され、承認されたのち9月に調印される。1944年には共同統治機関として、軍政司令部や管理理事会が設立された。1945年に入ってフランスが解放されると、共同統治国にはフランスが加えられて4か国になった。
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