分割相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 04:22 UTC 版)
1564年、それまで統一を保ってきたロイス家領は分割され、長子系統(Reuß älterer Linie、兄系ロイス)がウンターグライツを、中子系統(Reuß mittlerer Linie)がオーバーグライツを、末子系統(Reuß jüngerer Linie、弟系ロイス)がゲーラをそれぞれ領有した。中子系統が1616年に断絶すると、その遺領は他の2系統の間で完全に平等な形になるよう分割相続された。兄弟全員が相続権を平等に有する制度であったために、分割相続はその後も繰り返された。 長子系統であるロイス=ウンターグライツ(1564年 - 1768年)からは、以下の領主家が分出した。なお、ロイス=ウンターグライツ家も2つに分裂した時期(1583年 - 1596年)がある。 ロイス=オーバーグライツ(1625年 - 1927年) ロイス=ブルク(1596年 - 1640年、1668年 - 1697年) ロイス=ローテンタール(1668年 - 1698年) ロイス=デーラウ(1616年 - 1643年、1694年 - 1698年) 末子系統であるロイス=ゲーラ(Reuß-Gera、1564年 - 1802年)からは、以下の領主家が分出した。 ロイス=シュライツ(Reuß-Schleiz、1647年 - 1945年) ロイス=ザールブルク(1647年 - 1666年) ロイス=ローベンシュタイン(Reuß-Lobenstein、1647年 - 1824年) ロイス=ヒルシュベルク(1678年 - 1711年) ロイス=エーベルスドルフ(Reuß-Ebersdorf、1678年 - 1848年) またロイス=ゲーラからは、独立君主でない分家として、ロイス=ゼルビッツ(1718年 - 1824年)とロイス=ケストリッツ(1693年 - 現在)が出ている。 分裂状態が頂点に達したのは17世紀後半であり、兄系と弟系の2系統から合わせて10の分領が併存する状況となっていた。ロイス家の諸家の個々の家領は並はずれて狭小であり、官署がおかれないこともしばしばだった。こうした状況に対処するため、1690年に制度を改め、長子相続制を確立した。
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