ふゆ‐しょうぐん〔‐シヤウグン〕【冬将軍】
【冬将軍】(ふゆしょうぐん)
軍隊が厳冬で活動する際、寒波と降雪は下手な敵軍以上に甚大な被害をもたらす事を指す比喩。
語源
1812年、ナポレオンがロシアに遠征した折の事。
フランス軍は40万以上の圧倒的兵力でロシア軍を一蹴し、首都モスクワを占領。
しかし、訪れた冬の厳しい寒さとロシア軍の時間稼ぎの焦土作戦によってフランス軍の兵站が崩壊。
大量の凍死者・餓死者を目の当たりにし、かのナポレオンをして撤退を余儀なくされた。
その撤退行においてもロシア軍の執拗なゲリラ戦で大量の損害を被り、フランスに生還したのはわずか数万人であったという。
転じて、「ロシア軍には負けなかったが冬に負けた」として、ロシアの冬を「冬将軍」と呼ぶようになった。
同様の事例が第二次世界大戦中、ドイツ軍がソビエトに侵攻した際にも発生している。
モスクワ占領目前まで迫りながら冬期になって頓挫したことから、「ヒトラーも冬将軍には勝てなかった」としばしば槍玉に挙げられる。
関連:泥将軍
冬将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/11 09:13 UTC 版)
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冬将軍(ふゆしょうぐん、英語: General Winter、General Frost、霜将軍(しもしょうぐん))とは厳しい冬の様子を擬人化した表現である。日本では特に、冬季に周期的に南下する北極気団(シベリア寒気団)を指す。
語源
ロシアに対する諸外国からの軍事侵攻は、同国における冬の厳しい気候によって過去に幾度も失敗してきた歴史がある。
「冬将軍」の語源は、1812年のロシア戦役でのフランス軍の敗退をイギリスの風刺画家が「GENERAL FROST Shaveing Little BONEY」と表現したことであるとされる[1]。実際には、モスクワ退却は10月19日から始まっており、この年のモスクワにおける初雪は11月5日であった。
「冬将軍」と歴史
ロシア(ロシア帝国時代、ソビエト連邦時代)は極寒の気候の利を生かして18世紀の大北方戦争、19世紀のロシア戦役(ナポレオン戦争)、20世紀のシベリア出兵および独ソ戦(第二次世界大戦)においてそれぞれ交戦国であったカール12世のスウェーデン(バルト帝国)、ナポレオンのフランス(フランス帝国)、連合国軍(イギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国)、ヒトラーのドイツ(第三帝国)の軍隊に甚大な損害を与えたことは有名であり、いずれの敵も撃退されている。
しかし、13世紀に侵攻してきたモンゴル帝国に対してはタイガが凍りつく真冬に侵攻されたために冬将軍が通用せず、モスクワやキーウなどの主要都市を占領されてしまった。真冬のモンゴル高原はロシア以上の厳冬になるためモンゴル人が冬の寒さに耐えることができたのも理由の一つである。
また、大北方戦争の冬季戦にあってもロシア軍は上述のカール12世率いるスウェーデン軍に大敗北を喫している。結局、ロシア軍は冬と春を通じての攻城戦を耐え、疲弊したスウェーデン軍に対して夏に攻勢をかけ勝利を収めたのであった。
モンゴル人やスウェーデン人(馬を含む)が冬将軍をものともしなかった理由としては、モンゴル高原や北欧の冬は、ロシアと同等、あるいはそれ以上の厳寒になるためであった。
脚注
関連項目
- ジェド・マロース - 元となったロシアの民間伝承。
- 寒波
- 冬戦争
- 「冬将軍」という名のキャラクター等が登場する作品等の一覧
- さよなら絶望先生 - 漫画・テレビアニメ
- この素晴らしい世界に祝福を! - ライトノベル
- ニュースウオッチ9天気予報キャラクター一覧
- 泥濘期 - 同じく戦争の障害となった季節的な天候と関係の深い事象。
- 渡辺明 - 晩秋から冬季に開催される棋戦(竜王戦、棋王戦、王将戦)で活躍し、多くのタイトルを獲得したことから冬将軍と称された。
外部リンク
冬将軍(ジェネラルフロスト)
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「青の祓魔師」の記事における「冬将軍(ジェネラルフロスト)」の解説
霜兵を統率する氷の精霊の最上級悪魔。霜兵を巨大にしたような外見。
※この「冬将軍(ジェネラルフロスト)」の解説は、「青の祓魔師」の解説の一部です。
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