再渡米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/07 15:33 UTC 版)
1880年(明治13年)5月起立工商会社に招かれ、ニューヨーク支店長として再び渡米し、1883年(明治16年)9月ボストン産業博覧会で起立工商会社及び日本出展各社総代を務めた。1890年(明治23年)6月帰国し、第3回内国勧業博覧会審査官を務め、12月ニューヨークに戻り、資金難だった起立工商会社解散の事務を行った。 1893年(明治26年)7月シカゴ万国博覧会でアーネスト・フェノロサ、エドワード・S・モース、ジョン・ラファージと日本美術部門審査委員を務めた。1897年(明治30年)2月高柳陶造、土屋元作とニューヨーク5番街に美術品店三笑堂を開業した。
※この「再渡米」の解説は、「執行弘道」の解説の一部です。
「再渡米」を含む「執行弘道」の記事については、「執行弘道」の概要を参照ください。
- 再渡米のページへのリンク