六百番歌合とは? わかりやすく解説

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ろっぴゃくばんうたあわせ〔ロクピヤクバンうたあはせ〕【六百番歌合】

読み方:ろっぴゃくばんうたあわせ

鎌倉初期歌合わせ建久4年(1193)藤原良経邸で催された。判者藤原俊成作者藤原定家顕昭(けんしょう)・慈円寂蓮12人。各人100100首で、計1200600番。


六百番歌合

読み方:ロッピャクバンウタアワセ(roppyakuban’utaawase)

分野 和歌集

年代 鎌倉前期

作者 藤原良経(女房)〔ほか詠〕


六百番歌合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/21 17:21 UTC 版)

六百番歌合(ろっぴゃくばんうたあわせ)とは、鎌倉時代藤原良経主催でなされた歌合。判者藤原俊成の判詞「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」などで知られ、後の千五百番歌合とならび歌合の最高峰と評される。

概要

建久3年(1192年)に企画・出題される[1]。翌4年秋に披講・評定され、同年に加判が終了した。歌題は春15・夏10・秋15・冬10・恋50の百題。恋部は前半25題が恋の進行状態による設題、後半25題が「寄物恋」型の組題となっているなど、題詠の細分化と体系づけが考慮された画期的な試みとなっている。

新古今和歌集』は本歌合の作品を極めて高く評価しており、34首が同集に入撰している。歌壇史上、六条藤家一派はその歌学と過去の栄光を本歌合に賭して、摂関家歌壇における御子左家一派の新指導権と対決する。そのため、特に顕昭(六条藤家派)と慈円・寂蓮・家隆(御子左家派)の論は白熱した。

出詠歌人

左方
藤原良経中山兼宗
藤原定家(御子左家)
顕昭藤原季経藤原経家藤原有家(六条家)
右方
慈円藤原家房
寂蓮藤原隆信藤原家隆(御子左家)
藤原経家(六条家)

脚注

  1. ^ 『拾遺愚草』謌合百首「建久四年 三年給題、今年雖憚身、依別儀猶被召此哥」

関連項目

  • 六百番陳状



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