公家源氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)
中央貴族として栄えた源氏としては村上天皇の皇子を祖とする源師房(中院流)流が知られる。師房は具平親王の子であり、「二世の源氏」であったが藤原頼通の養子となったことがあり、さらに藤原道長の家系と重層的な縁戚関係を築いたことで「御堂末葉」、すなわち摂関家に準ずる家格と認識されるようになった。嫡流久我家は清華家のひとつとして江戸時代まで上流貴族の地位を占め続け、分家の中院家は大臣家の家格を保持した。一門の堂上家からは建久七年の政変で権力を掌握し「源博陸」と呼ばれた源通親や、後醍醐天皇第一の側近として南朝を指揮した北畠親房、明治政府の重鎮となった岩倉具視を輩出している。また江戸時代に成立した清華家の広幡家は、2代目の広幡豊忠を久我家から迎えている。 このほか宇多源氏・清和源氏・花山源氏など一部の家系も堂上家として存続しているが、いずれの家も羽林家・半家の平堂上であった。
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