かみ‐りゅう〔‐リウ〕【上流】
じょう‐りゅう〔ジヤウリウ〕【上流】
上流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 09:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動上流
- (じょうりゅう) - 川の流れの水源に近い部分。((水源)- 上流 - 中流 - 下流 -(河口))
- 貧しい労働者階級を尻目に多額の資産を保有し、贅沢な生活を営む階層。いわゆる上流階級の事。
- 情報・物資などの流通過程の最初の方。
- 上流工程 - システム開発における初期工程(「要件定義」「機能定義」など) を指す。ウォーターフォール・モデルを参照。
- コンピュータネットワークにおける用法。アップストリーム (コンピュータ)を参照。
- オープンソースソフトウェア開発における用法。アップストリーム (ソフトウェア開発)を参照。
- 製造工程の最初の方。
- (かみりゅう) - 茶道の流派。千家流のこと。
関連項目
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上流(信濃国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:25 UTC 版)
上流部の信濃においては江戸時代中期の1746年、飯田藩主・堀親長は重臣の黒須楠右衛門を普請奉行、中村惣兵衛を作事奉行として現在の下伊那郡高森町の天竜川に堤防を建設。さらに「天竜井」という用水路を開削し灌漑を図ろうとした。この「惣兵衛川除」は1752年に完成し、飯田藩内の水害を軽減した。上流の上伊那郡片桐(現在の中川村片桐)では1772年より「理兵衛堤防」の建設が始まった。これはこの地の名主である松村理兵衛忠欣が天竜川の治水を目的に護岸工事を始めたものである。この事業はやがて高遠藩の事業に昇格、忠欣の跡を継いだ子の常邑、孫の忠良の代にも継続され、松村家3代に亘るこの事業は1808年の完成まで実に58年間、57万6千人の人員を費やし近世天竜川最大の河川工事となった。 1832年には美濃高須藩の飛び地である座光寺(現飯田市座光寺)に「石川除」が建設された。利水においては「天竜井」の他1832年に伊東伝兵衛武敬によって天竜川流域一帯に農業用水を供給するため、天竜川各所に固定堰を建設、取水した。これらは「伝兵衛井筋」と呼ばれ、流域の新田開発に大いに役立ったのである。明治時代に入り、天竜川の治水は1885年(明治17年)に従来の囲堤を連結堤防に修築することから始まった。1927年(昭和2年)には引堤や川幅の拡幅は行われたが水害の根本的解決には至らなかった。この後、諏訪湖の洪水調節を図り諏訪盆地を水害から守るため釜口水門が天竜川の流出部に1937年(昭和12年)に建設された。
※この「上流(信濃国)」の解説は、「天竜川」の解説の一部です。
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上流
「上流」の例文・使い方・用例・文例
- この橋から上流へ3キロのところに村がある
- 2キロ上流の滝
- 最上流階級の人々
- この川の上流には巨大なダムがある
- 上流社会
- 上流の社会階級
- 上流に向けて航海する
- ナイル川上流
- この映画で彼女は上流夫人の役を演じている。
- 上流階級者向けのプライベートクラブ
- 私はこの川の上流まで車で探検します。
- 私はこの川の上流まで探検します。
- 私はこの川沿いを上流まで車で探検します。
- 彼らは私達の町の上流階級の人とみなされている。
- 彼は上流階級の人だ。
- 彼は上流階級に属する。
- 私達はこの橋から約3マイル上流に住んでいる。
- 橋は1マイル上流にある。
- 橋の上流に滝がある。
上流と同じ種類の言葉
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