光岡明とは? わかりやすく解説

みつおか‐あきら〔みつをか‐〕【光岡明】

読み方:みつおかあきら

[1932〜2004小説家熊本生まれ新聞社勤務するかたわら執筆活動を行う。ルポルタージュ思わせる手法で、戦時中人間心理日常生活潜むあやうさを描いて評価された。「機雷」で直木賞受賞。他に「草と草との距離」「いづくの蟹」など。


光岡明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/15 23:23 UTC 版)

光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 2004年12月22日[1])は、日本作家である。熊本県熊本市生まれ[1]

熊本県立宇土高等学校[2]熊本大学法文学部を卒業。1955年熊本日日新聞に入社[1]文化放送部長、編集局次長、論説副委員長などを務めた。その間、父の死をきっかけに小説を書き始め、1976年文学界』に発表した『いづくの蟹』で芥川賞候補。続いて77年『奥義』、『湿舌』、78年『草と草との距離』で計4回、同賞候補[1]1978年『草と草との距離』などで熊本日日新聞文学賞受賞。1982年に『機雷』で第86回直木賞を受賞した[1]。九州在住者では初の同賞受賞だった。1985年から1995年まで熊本近代文学館の館長を務めた[1]

2004年12月22日肺がんのため、死去。享年72。死の直前に、自らのがん告知、西行のことなどを書いた個人誌「この世」No.1を出した。

著書

  • 『草と草との距離』文藝春秋、1978年9月
  • 『迷鳥』作品社、1979年12月
  • 『機雷』講談社、1981年7月、講談社文庫 1984年
  • 千里眼千鶴子』文藝春秋、1983年1月、河出文庫 2010年
  • 『柳川の水よ、よみがえれ』講談社、1985年11月
  • 『前に立つ空』文藝春秋、1987年2月
  • 『薔薇噴水』文藝春秋、1996年8月
  • 『くまもとの森羅抄』熊本県総務部広報課、1999年9月
  • 『恋い明恵』文藝春秋、2005年8月

出典

  1. ^ a b c d e f 光岡明氏死去/直木賞作家”. 四国新聞社. 2024年2月20日閲覧。
  2. ^ 熊本県高等学校教育研究会国語部会編 『くまもと文学紀行』 熊本県高等学校教育研究会、2005年、33頁

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', ''];function getDictCodeItems(index) {return dictCodeList[index];}

すべての辞書の索引

「光岡明」の関連用語







7
機雷 デジタル大辞泉
100% |||||

8
いづくの蟹 デジタル大辞泉
98% |||||

9
草と草との距離 デジタル大辞泉
78% |||||


光岡明のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable() {return sideRankTable;}

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



光岡明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの光岡明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS