倭館とは? わかりやすく解説

わ‐かん〔‐クワン〕【×倭館/和館】

読み方:わかん

15世紀李氏朝鮮日本使節接待および貿易管理のため、漢城ソウル)・乃而浦(ないじほ)・釜山浦・塩浦に設けた建物三浦(さんぽ)の乱により閉鎖されたが、1609年釜山浦に再設。


倭館

読み方:ワカン(wakan)

日本からの使客接待のための朝鮮施設


倭館―対馬

作者白石一郎

収載図書孤島物語
出版社新潮社
刊行年月1995.1

収載図書孤島物語
出版社新潮社
刊行年月1998.1
シリーズ名新潮文庫

収載図書孤島物語
出版社光文社
刊行年月2004.5
シリーズ名光文社文庫


倭館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 10:14 UTC 版)

倭館(わかん)は、中世から近世にかけて、李氏朝鮮(朝鮮王朝)時代に朝鮮半島南部に設定された日本人居留地のことである。江戸時代には対馬府中藩が朝鮮との外交、通商を行った。


  1. ^ 守屋浩光「対馬藩における〈交奸〉について」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P123-133・140-141.
  2. ^ 川村博忠『江戸幕府撰日本総図の研究』古今書房、2013年 ISBN 978-4-7722-2018-7 P267


「倭館」の続きの解説一覧

倭館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)

日朝関係史」の記事における「倭館」の解説

李朝は、倭寇拠点となっていた対馬応永の外寇攻撃する一方で朝鮮半島に倭館を建設した。倭館は日本人倭人)向けの客館であり、貿易来航する日本人居住や、倭寇活動貿易変えて沈静化する目的兼ねていた。李氏朝鮮倭寇懐柔策行い降伏して定住する日本人増えて投化倭人呼ばれた。こうして、さまざまな役割李朝交流をする日本人増えた朝鮮官職持って貿易許された受職倭人や、港に定住する恒居倭人日本豪族使者で使走船に乗る使走倭人などもいた。商人興利倭人呼ばれて商船興利倭船呼ばれた。明が海禁政策日本との貿易公認しなかったこともあって興利倭人急増して李朝対馬壱岐九州諸大名渡航許可書を義務づけた。李朝対馬国在留期限超えた恒居倭人帰国求め使節派遣予定していたが、島主の宗材盛の急逝使節派遣延期した15世紀末には恒居倭人3000人近く達して、恒居倭人暴動対馬巻き込んで三浦の乱となった三浦の乱ののちは、三浦での日本人居住禁止されて、李朝軍事機関備辺司設置するきっかけとなった倭寇の影響もあってたびたび国交断絶して丁未約条丁巳約条貿易再開される入港地は釜山浦に制限されて、秀吉による朝鮮出兵まで続いた

※この「倭館」の解説は、「日朝関係史」の解説の一部です。
「倭館」を含む「日朝関係史」の記事については、「日朝関係史」の概要を参照ください。

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倭館

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 12:39 UTC 版)

別表記

名詞

わかん

  1. 李氏朝鮮時代日本人通商接待のため釜山置かれ日本人居留地


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