京都師範学校
京都府師範学校
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1898年4月1日: 師範教育令に準拠し京都府師範学校と改称。本科は修業年限4年、入学資格 男子16歳以上・女子15歳以上。 1899年4月: 愛宕郡上賀茂村字小山に新築移転。現・京都市北区小山南大野町・紫野東御所田町、京都教育大附属京都小・同 京都中所在地。 同月、京都府教育会が師範学校予備科を開設 (1907年廃止)。 1908年1月: 学則制定 (京都府告示第156号)。本科第一部 (4年制。3年制高等小学校卒対象)・本科第二部 (1年制。中学校卒対象) を設置。 1908年4月: 女子部が京都府女子師範学校として分離独立。京都府師範学校は男子校となった。 1909年5月: 校歌制定。『紫野辺の暑さにも』 (黒本植 作詞、吉田恒三 作曲)。 1911年4月: 「入学試験事件」 発生。本科第二部に同志社普通部卒の4名が志願した。中学校令による中学校でないため科目免除が受けられず (志願者側の認識と異なった)、結局全員が不合格となったが、師範学校校長が 「同志社はキリスト教学校なので、入学して来てもらっては困る」 と発言した旨の誤報道がなされた。 1920年3月: 学則改正。予備科を新設 (1年制。2年制高等小学校卒対象)。 1925年4月: 本科第一部を5年制に変更、予備科を廃止。 1926年4月: 専攻科を開設 (1年制)。 1931年1月: 本科第二部を2年制に延長。 1932年3月:野球部が第9回選抜中等学校野球大会に出場。 1936年3月:野球部が第13回選抜中等学校野球大会に出場。 1939年5月: 傷痍軍人京都小学校教員養成所を併設。1942年4月、傷痍軍人国民学校訓導京都養成所と改称 (1947年7月閉鎖)。
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