よてい‐せつ【予定説】
予定説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 01:53 UTC 版)
予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。
予定説を支持する立場からは、予定説は聖書の教えであり正統教理とされるが、全キリスト教諸教派が予定説を認めている訳ではなく、予定説を認める教派の方がむしろ少数派である(後述)。
内容
予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。
救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる[1]。これは、聖徒の堅忍と信仰後退者の教理である。[2][3]
アウグスティヌスの説に対する見解
アウグスティヌスは、人間が全的に堕落し、救われるためには神の恵みによらなければならないが、神はすべての人を救われるのではなく、救われるべき人々を神があらかじめ選ばれたという予定説を展開した、と改革派教会においては理解される[4][5]。
ただし、アウグスティヌスを聖人として列聖する正教会・カトリック教会においては、アウグスティヌスの見解を予定説とは捉えていない。
アウグスティヌスは、ペラギウス主義および半ペラギウス主義への反駁として、救済の恩寵が信仰や善行に対する因果関係において先行すると説いた。しかし、アウグスティヌスの著書「告白」において、母モニカの死後、彼女の救済を願う祈りが記されている。そのため、実際のアウグスティヌスによる恩寵論がカルヴァニズムに見られる予定説を意味すると捉えるのは極めて困難だといえる。
改革派教会内の論争
予定説はオランダのカルヴァン派で発展し、救済の予定が人間(アダム)の堕落の前とする堕落前予定説と、堕落の後とする堕落後予定説との論争が起こった。堕落前予定説では人間の自由意思の余地は全くないと批判されることがある。
二重予定説
救いの選びと、滅びの選びについて教えた二重予定説についても議論が多い。聖書は救いに選ばれた者のために書かれたのであり、カルヴァンは滅びの選びを強調していない。滅びに選ばれた者のために聖書が書かれたわけではない。
アルミニウス主義の台頭
オランダ改革派のヤーコブス・アルミニウスは予定説に反対し、普遍救済説を提唱したが、1610年に改革派のドルト会議で、このアルミニウスの思想は異端として排斥された。このとき「人間の全面的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、選びの召命における不可抗的恩恵、聖徒の堅忍」という、カルヴァン主義の5つの特質として定義された。
イングランドのメソジストは、予定説を批判するアルミニウス主義をとっている[6]。ジョン・ウェスレーがアルミニウス主義を受け入れたために、カルヴァン主義のジョージ・ホウィットフィールドとの間に論争が起こった。イングランドのメソジストはアルミニウス系だが、ホウィットフィールドの影響があるウェールズのメソジストはカルヴァン主義である。ウェールズのメソジストを助けたハンティンドン伯爵夫人もカルヴァン主義者であった。
ドルト会議以降、カルヴァン主義系統とアルミニウス系統の論争が続いていたが、自由主義神学(リベラル)が現れ、この敵に立ち向かうために、福音陣営において両者の論争は沈静化した[7] 。日本においてもリベラル派の聖書観に対抗し、聖書信仰に立つカルヴァン主義者とアルミニウス主義者が協力して聖書信仰運動を展開した。[8] 協力が結ばれたのは、新正統主義のカール・バルトの聖書観に対する反発があったことも指摘される。[9]
予定説と資本主義
マックス・ヴェーバーは論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた、という論理を提出した。
救済にあずかれるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすると、人々は虚無的な思想に陥るほかないように思われる。現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのであるなら、快楽にふけるというドラスティックな対応をする者もありうるはずだ。しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」だが、この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである」という思想を持った。そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論理である。
予定説を批判し受け入れない教派
予定説はキリスト教の全ての教派で受け入れられている訳ではなく、プロテスタントの幾つかの教派で受け入れられてはいるものの、最大の信徒数をもつローマ・カトリック教会や、東方教会で最大の教派である正教会では受け入れられていない教説である。
予定説は正教会には全く受け入れられていない[10]。既に17世紀の1672年にエルサレム総主教ドシセオス2世が召集したエルサレム公会で、他のカルヴァン主義の教説(信仰義認など)とともに予定説は否定された。なお、この公会においては、カルヴァン主義のみならずローマ・カトリックとも距離が取られている[11]。
カトリック教会では予定説は、トリエント公会議で異端として排斥された。
脚注
- ^ 参考:ローマ人への手紙(ロマ書)8:29、9:15など
- ^ マーティン・ロイドジョンズ『試練の中の信仰』いのちのことば社
- ^ ジャン・カルヴァン『キリスト教綱要』改革派教会
- ^ アリスター・マクグラス『宗教改革の思想』教文館p.103-106
- ^ マクグラス『キリスト教神学入門』教文館p.608-610
- ^ 2.アルミニウス主義の台頭 - Ichinomiya Christian Institute Server
- ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社
- ^ 日本福音同盟『日本の福音派』いのちのことば社
- ^ 日本キリスト改革派教会歴史資料編纂委員会『日本基督改革派教会史』
- ^ 神学博士マカリイ著・上田将訳『正敎定理神學』326頁~330頁 正敎會編輯局
- ^ Cyril Lucaris (Encyclopædia Britannica)
関連項目
- プロテスタント正統主義
- プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
- アウグスティヌス
- ジャンセニスム
- マルティン・ルター
- カルヴィニズム
- アルミニウス主義
- ペラギウス主義
- メソジスト
- カール・バルト
- 選民
- 定命 (イスラム教) - ムスリム(イスラム教徒)が信じなければならない六信の一つ。
- カトリシズム(普遍教会主義)
- モリナ主義
- 義認論
- 小室直樹 - ヴェーバーを祖述する立場からよく予定説について著作で触れたが、その中で「日本人にはどうしても理解されにくい説である。講義で学生に説明した時など『善人悪人に関係なく誰を救済して誰を救済しないか事前に予定している神など淫祠邪教のたぐいではないか、役に立たないから退治してしまえ』と言われた」と述べている(たとえば山本七平「勤勉の哲学」PHP文庫の解説、P352~353)
予定説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:54 UTC 版)
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「カルヴァン神学の中心教義は予定説(二重予定説)である」というアレクサンダー・シュヴァイツァー(ドイツ語版)の学説は、マックス・ヴェーバーらに影響を及ぼした見方ではあるが、現在は支持されないという主張を行う者が現れているがその者の名前を知る者は多くはない。[要出典]「予定」の項目が現われるのは『キリスト教綱要』第3版からである。カルヴァンの中心思想を特定することは困難であるが、「神中心主義」などと表現されることが多くなった。 予定の教義は、カルヴァンの死後も後継者の手によって発展し、1619年、ドルト会議の「ドルト信仰基準」(ドルト信仰告白)などを経て、カルヴァンの死後約100年後のウェストミンスター教会会議(1643年7月1日 - 1649年2月22日)において採択された「ウェストミンスター信仰告白」(1647年)によって現代見られるような形で一応完成した。それ以来、改革派神学者の保守的陣営において、19世紀の終わりまでは二重予定論に関して、ウェストミンスター信仰告白の枠組みを抜本的に変えることを迫るほど新しく有効な議論が起こされた形跡はない。 しかし20世紀に入ると、カール・バルトが主著『教会教義学』等のなかでカルヴァンやウェストミンスター信仰告白の二重予定説を強く批判したのを受けて、それまでは保守的陣営にとどまっていた改革派神学者たち自身が、二重予定説の立論そのものについての抜本的な再検討へと動き始めた。 とくに、アムステルダム自由大学神学部で長く教鞭をとった改革派教義学者ヘリット・コルネーリス・ベルカウワーによる再検討は、抜本的なものであった。ベルカウワーは、神の予定の二重性は「非均衡的」であること、つまり、選びと遺棄は同等の強調を置かれるべきではないこと、また、「キリストにある選び」(Election in Christ) という点、つまり、予定論のキリスト論的側面を強調することが重要であることなどを主張した。 ただし、バルト自身の予定論(恵みの選びの教説)の大意は「神の御子イエス・キリストが十字架において遺棄されることによって、万人が選びに定められた」ということであり、人間のなかに救いへと選ばれる者と遺棄される者がいるとするカルヴァンの予定論とは全く趣を異にするものである。 カルヴァンは、職業は神から与えられたものである(職業召命観)以下キリスト教綱要より抜粋・・・最後に、主なる神は我々すべての者に、人生のあらゆる活動において、自分の使命を重んじなければならないことを、命じておられること、に注意しなければならない。………神は、すべての人に人生のあらゆる領域において、それぞれの特別な義務をお定めになった。………人が、自分の心配、苦労、困難、その他の重荷の何においても、神が自分の導き手であることを知っておれば、これらのことが、どんなに軽くされるかしれない。各個人はその重荷を神から背負わされるのである、ということが納得できれば、為政者は、自分の務を、一そう大きな満足をもって、自分の義務に専念するであろう……かくてまた、特殊な慰めというものが生れる、なぜならば、(われわれが自己の天職に従う限りは)余りに卑しく下劣で、到底神の御目の前において真に尊く見え、非常に重要には思われないというような仕事は、どこにもないからである。・・・ とし、得られた富の蓄財を認めた。この思想は、当時中小商工業者から多くの支持を得、資本主義の幕開けを思想の上からも支持するものであったとされる。[要出典]
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「予定説」の例文・使い方・用例・文例
- ジョン・カルバンの絶対予定説に反対して、人間の自由意志が神の主権と互換性を持つと考える17世紀の神学(その創設者J・アルミニウスの名をとって名づけられる)
- (厳格なカルヴァン主義の予定説の教義に反対した)オランダ人神学者ヤコブス・アルミニウスの教えを信じるバプテスト派信徒のグループ
- 厳格な予定説を信じたフランスの神学者ジャン・カルヴァンの教えを信じるバプテスト信徒の集団
- オランダ人のプロテスタントの神学者で、ジョン・カルバンの絶対的な予定説に反対したアルミニウス説を創立した(1559年−1609年)
- スイス人の神学者(フランス生まれ)で、信念(予定説、恩寵に抵抗できないこと、信仰による義認)により長老制を定めた(1509年−1564年)
- キリスト教における,予定説という考え方
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