久邇宮邦彦王
久邇宮邦彦王
久邇宮邦彦王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 04:20 UTC 版)
詳細は「久邇宮邦彦王」を参照 2代邦彦王(くによしおう)は、1873年(明治6年)に誕生。1891年(明治24年)に父宮薨去によって、宮家を相続した。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業し、陸軍大将にまで昇る。1899年(明治32年)に公爵島津忠義の娘俔子(ちかこ)と結婚。1928年(昭和3年)、台湾滞在中に朝鮮人テロリストによる暗殺未遂事件に遭ったがけがはなかった。1929年(昭和4年)、潰瘍性腹膜炎により56歳で薨去。 王子女には、朝融王、邦久王(1923年(大正12年)臣籍降下)、邦英王(1931年(昭和6年)臣籍降下)、良子女王(香淳皇后)、信子女王(三条西公正に嫁す)、智子女王(大谷光暢に嫁す)がいる。
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